言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.27

教えることと伝えることの違い

 三寒四温で春が近づき、梅もほころび、ああ春だなあと感じています。
 10数年前に下町に泊まったことがありました。普通のマンションで、表は新大橋通り、裏は工場がびっしり、間に民家がこれまたびっしりという地域でしたが、朝起きて窓を開け、工場の屋根を眺めていたら何処からか鶯の声が聞こえてきました。
 吃驚して私は表に飛び出し(といってもドアの開け閉めを鍵でやってエレベーターに乗って、表玄関のドアの開け閉めも暗号でやって……という動作が加わる)鶯の声を探して30分くらいさまよいました。結局何処で鳴いているのか分かりませんでしたが、人工の、テープのようなものから流れてくる声でないことだけは確かでした。
 嬉しい吃驚で、鶯が見つかるよりそういうことがあったという思い出を毎年心の中から取り出せることが嬉しいのです。お天気の良い日に昼間のんびり小道を歩いているのもなんかいい感じです。
 梅が咲いてる、アア去年と同じだな、でも
 ♪みんな去年と同じだな けれども たんねえものがある あんさのまきわるおとがねえ ♪
 という歌がふと思い浮かびました。そうね、こうやって昨日と同じような日だと思っても少しずつ違って、去年と同じようだなと思ってもちょっと違って、そうしてハッと気付くと大分違って……というようにして年って積み重なっていくのでしょう。
 一日24時間、昨日も今日も似たようなものですがちょっと違う。その違いに対して今まで培った経験でもって即興的に対処していく。いけなかったら失敗しちゃった〜! ということになって、次は失敗しないようにする。次の成功が前の失敗のお蔭であるときに失敗は成功の母であることを実感するわけです。どうも最近は失敗を恐れすぎているようなキライがあるようで、それでみんなフツーが好きになって流行り言葉にもなったのかな?
 ♪梅と桜とするもんこの指たかれ〜、高い山崩せ 梅と桜とあわせてみれば 梅の眺めはピンこしゃのしゃっしゃ ウサギがもちくって ほ〜い ほい♪
 という歌があります。これも関東の歌ではないと思われます、何故なら言葉のイントネーションが関東風ではないからです。
 でも私はぴんこしゃのしゃっしゃ とか うさぎがもちくって などという想像外のことが好きなのでよく歌います。これは人差し指を立ててこの遊びをしたい児が大勢に呼びかけます。かくれんぼするものこのゆびとまれ なんてやるときのあれと同じです。みんながすぐ人差し指をつかみ自分の人差し指を次の人のために立てるということが今の子供たちにはなかなか出来ません。もちろん教えてあげればすぐ出来ますが、5〜6歳までこういう遊びを見たこともやったこともない子供が増えているということは確かなことです。
 見逃すようなちっちゃな事柄ですが、自分がまったあと、人のための場所を提供するという行為が考えなしに、理屈なしに出来て、小さい人間としてふさわしい規律がひとつ習慣付けられるのではないでしょうか? 
 教えなければならないこと、伝えなければならないことをごっちゃにしないように、何が何なのか分かるように大人が賢くならなければなりません。教えなければならないことの中には、当然習慣付けも入ると思いますが、習慣になってない大人が増えてきたのか、見過ごされる子供たちが増えているようです。
 わかりにくいですか? 要するに礼儀作法がおざなりになりすぎたってことです。私も気をつけよう。

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