言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.26

わらべうたは先人の知恵

 2月1日から3日まで長野にいました。行く前のお天気は長野市は雪という予報でしたが、行ってみればたまに雪が舞うというお天気で、雪が「ふ〜わふ〜わ」と舞っているのを見ていました。寒冷地ですから部屋の中は心地よく暖房され、東京で考えていたような寒さではなく、当然幼児たちと軽装で遊ぶことができました。    
 何処にいても幼児と遊んでいるときは至福のときです。丁度窓の外では雪が舞っていたし、幼児たちはややかしこまっていましたので私は緊張を解くために紙ふぶきを作りました。
 二進法で五本の指が順々に親指が一、人差し指が二、次が四、八、十六となるのが「信じられない」と言いました。「変なこともあるねえ、でもこれはすぐ役に立つものではない。大きくなっても役に立たないかもしれない、コンピューター会社に就職したら役に立つ。実験しようか」と言って一枚の紙を二つに切る、「ホラね、二になった」。それをまた二つに切る「今度は幾つになると思う?」、みんな言いたい放題「三!」「四!」。四枚になった。それが八枚になり十六枚になり、三十二枚になり、こうなったらもう破れかぶれのように細かく細かく切って行き、紙ふぶきの出来上がり。
 「長野の子どもは雪が降ってきたらどんな歌を歌うの?」との問いにわらべうたは出てきませんでした。紙吹雪製作中にも手も口も動かしながら、
 「秋田県の子どもたちは♪上見ればむしっこ 中見ればわだっこ 下見ればゆぎっこ♪ ってうたうんだって」
 と歌えば紙吹雪完了。歌が終わったところでパッと紙を投げればみんな「ワアー」っと嬉しい大騒ぎ。せっせと雪かきをしてくれて「もう一回やって!」  
 幼児期は正確な音程で歌を歌うのは至難の業ですが、歌詞は実に良く覚えます。大人は言葉が言えていれば歌ってると思いがちですが大きな間違いです。節をつけずにただ言っているだけなら唱え言葉かお経、祝詞……といえば良いかしら……。小さいときから歌えるようにわらべうたの音域は狭い。実に見事な先人の知恵といえましょう。しかし、今の大人は言葉さえあっていれば歌っていると思い込んでいる、怒鳴っていれば元気がいいと信じている、何故子どもはいつも元気が良くないといけないのでしょうねえ。
 「あんまり大声を出すと知恵が逃げてしまうから静かな声で」なんて言っていると、ひょいと佐賀の雪の歌が浮かんできました。
 ♪雪やこ〜ろ あられやこ〜ろ 天竺橋の橋のしちゃ からすが三匹とまった なんひゃあてとまった 雪駄ひゃあてとまった 雪駄炭になって 炭やこ〜ろこ〜ろ♪
 という歌ですが、なんとも可愛らしい歌です。佐賀で雪は珍しいのでしょう。で、橋がでてきたところでまたまた長野の雨の歌が浮かびました。
 ♪ゆうやけこやけ あしたてんきゃ ええか あめこんこ ふるな ちくまのはしゃ おちるぞ♪ というのです。
 これは千曲川のほとり、東・北信濃に住む子どもたちの歌で、昔の橋は舟の上に板を並べた低い橋であったので、長雨が続き、水かさが増すと水をかぶったり流されたりしたそうです。すさまじい濁流を目の当たりにして「橋が落ちる!」と心配する大人たち。子どもも勿論心配したでしょう。この歌を歌いながら草履や下駄を蹴り上げて明日の天気を占って遊んだのです。私も単に「明日天気にな〜れ」と歌いながら占いました。
 こういう歌も消え、千曲川の橋も犀川の橋も立派になりました。心配はなくなりましたが、さて、魚たちのすむところはどうなったのかなあ。

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