2003.11.15(NO39)  座間第一小リード合奏クラブ

座間第一小リード合奏クラブ
「譜面を見ないで指揮者を見て!」重昭はどこの小学校でもそうした指示をとばした。
「楽譜を見て演奏している間は、本当の演奏はできないんだよ」そんな重昭の言葉をしっかりと受け止めて、毎日熱心に子どもたちの指導に励むのは高座郡座間町立座間第一小学校の野崎重徳先生だった。ここには後に世界的なクロマチック奏者となる崎元譲が、昭和35年の卒業まで在籍したことは既に書いた。
 野崎先生も常々子どもたちに言った。「楽譜を見ないで演奏できるようになったとき、練習は三分の一の過程が終わったものと考えなさい。みんなの練習している曲が、自分が楽しめる音楽、人に聴いてもらえる音楽になるのには、そこからさらに、二倍の練習が必要なんだよ」
 ステージに並び、演奏しているときの子どもたち一人ひとりの目が、じっと指揮者である野崎先生を見つめる姿をみて、「子どもが可哀そうだ。指導が厳しすぎる」と言う人がいたそうだ。その反面、「あの子のあの目の輝きを見ていると涙が出てきてしまう。教室の勉強では一度だってあんな真剣な目をしない」と感嘆する人もいた。
 当の子どもは、いつぞやのコンクールでの演奏が終わったあとで、「先生、先生は演奏の途中で僕たちに、よくできてる、と目で言ってくれたよね。だから僕は安心して演奏しちゃったよ」と得意な顔で言う。
 「よく先生の気持ちが分かったね。そうだよ、君はよく頑張っていたものね」そう、野崎先生は応じるのだった。
 意欲に燃えて輝く子どもたちの目は美しかった。いつだって、どんな大曲でも子どもたちは一生懸命努力して暗譜した。
 ある日、それは昭和36、7年の頃だと思われるが、東京の文京公会堂にコンテストに赴いたときのことだった。座間第一小のリード合奏クラブが演奏している最中に突然停電し、会場が真っ暗になった。演奏はこれから佳境にはいるところだった。客席からは一瞬の軽いどよめきが起こった。 
子どもたちは少しも動揺せず、誘導灯のかすかな光に揺れる野崎先生の指揮棒に従ってそのまま演奏を続け、全曲を無事演奏し終えた。観客も騒ぎ立てることもなく静かに聴いてくれて、終わるやいなや拍手は他の演奏よりもひときわ大きく、いつまでも鳴り止まなかった。そしてようやく拍手が止む頃、会場に明かりが灯った。
 彼らには後刻、プログラムが変更されて再度演奏する機会を与えられ、上位入賞を果すことができたのだった。
 会場を去ろうとする座間第一小の一行のバスに向かって、帰りがけの観客から自然と盛大な拍手が湧き起こった。帰校後も、いろんな人たちから驚嘆の声や、激励の声が寄せられた。座間第一小のリード合奏クラブのメンバーにとっては忘れられない停電事件となった。
 重昭の指導の元、教師と子どもたちの厚い信頼関係が実って、野崎先生が在職中の昭和29年から37年までの9年間、座間小リード合奏クラブは、東京放送(現、TBS)が主催し、文部省が後援する国内最大の音楽コンクールのひとつ、「こども音楽コンクール全国大会」で、2度にわたり2位入賞の栄誉を受けたほか、神奈川県主催の「国際音楽コンクール」で総合優勝も果すなど、数々のコンクールで優秀な成績を収めた。
 昭和37年には在日米軍の司令部は、彼らの見事な演奏ぶりをアメリカの小学生に紹介しようと、座間第一小を訪れ、ハイドンの「驚愕シンフォニー」や「日本民謡集」、日米の国歌などの演奏をカメラとテープに収録した。その模様は7月12日付けの新聞で、「”日本の音楽教育代表“座間第一小リード合奏クラブ 米軍広報部が収録」と写真入りで大きく報じられたのだった。

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