言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.5

ひなまつり

え・鈴木伸太朗
 “あかりをつけましょぼんぼりに〜”またまた童謡がうかんでくる今日この頃です。街を歩いていても、幼稚園でもこの歌ばかり、他にないのかなあ〜 でもいい歌です、特に二番の”お嫁にいらした姉さまによく似た官女のすまし顔“というくだりは美しい言葉です。
 大体今の時代「ねえさま」とか「おねえさま」なんて自分の姉に使ってる友人、知人は残念ながら皆無。この言葉を心にしまっておくだけでもこの歌を聴く価値があると思います。が、賢い皆さんはもうお分かりと思いますが、この歌は短調風の都節、しかも音域は9度、すなわちオクターブと2度。幼児が正しく歌える音域を越えています。もちろん何人かに一人くらいは上手にこの歌を歌いこなせる子供はいます。しかし全員ではない。したがって大人が聞かせてあげるのが無難でしょう(と言ってもスーパーなどで流れているのはほとんどが子供の歌手が歌っている)。  
 何人かに一人くらいは小さい子供でも大人顔負けでしっかり歌える(歌詞もメロデイーも)こともありますが、一般的に言えば歌詞は言えても節がまるでお経みたいな場合が多いのです。でも傍で聞いている大人にとっては歌詞が正しければ歌っていると思い込んでしまう。思い込みって怖いです。大人は常に大人であることを忘れず、耳と脳みそを鍛え続けなければ小さい人間たちに申し訳ないことです。  
 それはともかくとして、わらべうたにも「3月3日の餅つき日、ペッタンコ、ペッタンコ、ペッタンペッタンペッタンコ」と言うのがあります。
 1600年代からすでに庶民(特に農民)の川原、または磯遊びの祝日として紙雛を作りご馳走を祝って水に流し、女子の健康を祈ってきたらしいのです。古くは蓬餅(下って菱餅)、雛あられ、お白酒などで祝いました。
 厚木は川に恵まれていますねぇ。小鮎川、荻野川、玉川、恩曾川、中津川、相模川など等。昔の今頃はお天気の良い川原で皆が三々五々持ち寄ったご馳走を供え、頂き、最後に紙雛を流す風景がそこここで見られたことでしょう。もちろん歌自慢の大人たちの歌をじっと聴きながら、自分たちも大きくなったらああ歌おうと思っている子供たちが良い聞き手だったことでしょう。
 明治44年(1911)の資料には雛の節句のご馳走は、「赤豆飯、しじみ赤味噌仕立て、鰈の焼き物、赤貝、大根の膾、白酒、味醂酒、小巻卵焼き、赤白鹿の子蒲鉾、豆慈姑、小巻寿司、赤貝汁」とあります。思い浮かべるだけで幸せになりそうなおいしそうなメニューですね。
 さて、一つ謎解きを願います。正解の方には抽選で2名様に編集長からご褒美が出るらしい。
 「りんがじんと ががじんが ごんすることを もんすれば りょそうを せっすと ごんすなり くさというじの うえとって やまとやまとを かさぬべし」
 これは鹿児島の子守唄として、また民話としても伝わっています。お婆さんが孫の子守をする振りをして、離れに泊まっている客人に急を告げたと言われています。離れに泊まっていた客人は誰? そして何を告げたかったのでしょうか? こういう一見古めかしいものは、ややもすれば捨ててしまいがちですし、知っていたからと言ってこれこれこういう役に立ちますよとは言いがたいものです。でも役に立たないコトだって知ってて悪い? 大体私たちは役に立たないことばかりしています。女のパーマ、化粧、流行の服装、車、勉強、家の建て替え、我慢できるのにこれでもか、これでもかの冷暖房、電話、テレビ、など等。
 この原稿を書くに当たって私はわらべうたについて書くように依頼されたのですが、童謡も出てきました。なぜか? わらべうただけが人間を育てる助っ人ではないからです。これからももっと範囲が広がることでしょう。何処まで広がるか私には予想がつきません。見えない世界へ向かうので楽しみです。
 最近、アメリカに5年近く暮らしている教え子に私の合唱団のCDを送ったところ、10歳と7歳の息子たちは「夕焼け小焼け」を知らなかったと言う便りを貰って吃驚しました。子供におもねらない美しいものは伝える努力を怠ってはいけないと言う、私への伝言と受け止めました。

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