言葉と精神の離乳食★わらべうた

大熊進子

NO.6

 子守歌

日本の二頭児(子守娘)「ワーグマン日本素描集」
 大分前に山口県のさるところで講演したとき、話を聞いている若い子供たちに「どんな子守唄で育ちましたか?」とたずねたら、『ブラームス』や『モーツアルト』の子守唄がちらほら出てきていました。主催者の意見では「ここらあたりは転勤族も多く、高学歴者を両親に持ち、インテリ階級なので日本の子守唄よりもああいうクラシック音楽のほうが良いと思われているのではないか」とのことでした。
 私としては高学歴の人たちが日本の子守唄を選ばずクラシックの子守唄を選んだことがショックでした。ただ良いと言われた学校を出ただけではその人の本当の教養を意味してはいないという証明を突きつけられたのですから…。日本人としての根っこをしっかりさせ、母の話す言葉を理解し、精神も心も育ち、そして他民族にも民族の数だけ文化、言語があることを知ったうえで外国語を学ばなければ、本当の意味の国際化とはいえません。もちろん、こんなことは外国語を学ぶ子供たちが明文化して理解する必要はなく、賢い大人が知っていれば良いことです。
 かつて「ね〜んねん ころ〜りよ おこ〜ろりよ〜と歌うとうちの子は泣くんです」との問いに「ではモーツアルトの子守唄を歌えば良いでしょう」とアドバイスした作曲家(男性)がいました。私なら「歌を聴いて泣くとは何と優れた感性が育った来たことよ!」と感動します。そして泣いたのは聞きなれた子守唄を田舎節(ドレミソラの半音の無い五音階)で歌ったからか都節(ミファラシドの半音入りの五音階)で歌ったからか調べます。それに関係なければ泣かないで済む歌に代えます。私は日本人に育てたいから乳幼児に外国の音楽を借りて語りかけるようなことはしたくありません。
 日本の子守唄と言うのは実にいろいろな種類があります。労働歌、愛を伝える歌、単純に寝かせるために何となく歌う、文句を言う歌等々。ネ、ついつい子守唄と言えば寝かせる赤ちゃんがカワイイと思って歌う歌だと思いがちですが、『うちのごりょんさんな〜がらがらがき〜よ〜、いろは〜よけれ〜ど しぶござるよ〜』(博多の子守唄)とか『(前略)子守 子守と ゆいなるけれど 子もりゃ 楽なようで つらいものよ ころんで ドッコイショ 嫁にゃいくまい 奉公にゃ出まい うちの兄嫁 気も荒いよ いびり出せ ドッコイショ』(本牧の子守唄)など子守の気持ちの分かるうたもあります。
 もちろん『(前略)宮へ参ったとき なんというて おがむさ いっしょ この子の ねんころろ まめなよに ねんころろ ねんころろ』(中国地方の子守唄)のように愛しいと心から思って歌う歌も多いです。
 ちなみに県央の子守唄二つ見てください。「子守りや楽なようで」と「ねんねんねん」です。
  子守りゃ楽なようで してみりゃつらい 旦那さんにゃ叱られ子にゃ泣かれ おかみさんにゃ 横目で睨められ 早くお盆が来ればよい
ねんねんねんねんねんねんよ 坊やがねんねのその暇に 糸取り 機織り 染め上げて 三つの祝いに 三つにして 五つの祝いに 四つにして 七つ本縫い 裁つからは 十九で世のため 人のため 坊やは良い子だ ねんねしな
 ワーグマンが明治時代に残してくれた素描にある日本の『二頭児』を子守りゃ楽なようでは髣髴とさせます。ビゴーも日本の風刺画を当時多く描き、本国(フランス)へ送り、それが多分ヨーロッパに広まったと思いますが、ワーグマンのほうがビゴーより先駆者で、絵としては私はワーグマンのほうが好きです。何故かと言うとユーモアの中に美があるからです。答え「隣家人と我家人の 言する事を聞すれば 旅僧を 殺すと言すなり  草という字の上とって 山と山を重ぬべし」
 草の上を取れば早いと言う字です。山と山を重ねれば出ると言う字です。昔、鹿児島ではお寺の坊さんがこういう遊びをしていました。それが庶民にもはやり、旅僧はお陰で一命を取り留めたと言うことでした。

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