言葉と精神の離乳食★わらべうた

大熊進子

NO.22

わらべうたは子供達に規律を教える

わらべうたを歌う子どもたちと大熊先生
  師走も15日ともなると何が何だか分からなくなるのが大人……かな? 私が子供の頃はどうだったかしら。〜もう幾つ寝ると お正月 お正月には凧揚げて 独楽を回してあそびましょ 早く来い来い お正月〜という歌がすぐ浮かんできます。もう半世紀以上前の歌ですからうろ覚えですが、確か2番は追羽根突いて遊びましょ〜と歌ったような気がします。
 童謡やわらべうたというのは、こうしてうろ覚えの歌詞が次第に独り立ちしていき、正しい歌詞が間違いのように取られたりするところにスリルがあります。えらい学者先生がわが意を得たりと後世になって分析し、そこの地域の気候、風俗習慣に基づいての学説を打ちたて、それを読んで「はは〜ん、なるほどそうであったか」と納得するのも愉快なことです。
 わらべうたのお正月を歌った歌は数え切れないほどあるようです。例えば「お正月はええもんじゃ ちゃんちゃんとはねついて ゆきのようなままくって あぶらのようなさけのんで てっぽのようなへをこいて」「おしょうがつええもんだ ゆきのようなままくって こっぱのようなどどくって こおりのようなもちくって あぶらのようなさけのんで」など等。
 始めの二つのわらべうたからは、昔の人にとって、お正月は特別な時ということが分かります。子どもたちも平和に遊びのひと時をもてる、大人たちは濁酒ではない清酒を飲める、例え干物でもお魚が膳に乗る、ウフフ、鉄砲のようなテンシキはどういう食べ物から出てくるのかしら? こういう歌は誰が、いつ、何処でどんな風に歌ったのでしょう? 私はどうやら羽根突き、鞠つき、またはお手玉をするときに子供たちの口から漏れたか、大人が歌ってあげたか……。羽根突きも鞠つきもお手玉も、しょっちゅう失敗ばかりしていたのでは面白くもなんともありません。子供たちは技を磨き、みんなと、またはみんなの中で抜きん出て遊びたいと願ったことでしょう。
 わらべうたは子供たちに規律を教えるものだと思うのです。幼いときに喜ばせてもらい、その後成長して仲間と遊べるようになるまで一人で遊びを観察し、どうしたら仲間に入れてもらえるか工夫する、そしてついにそのときが来たら、遊びは美しく規律正しく、そして彼らの共有する時間も美しく燃えることが出来るのでしょう。
 市民かわら版の「風見鶏」にあったように小さいときに心にしまった「美しい遊び方」は、衣食足りたときに再び芽を出すのでしょう。「心の不良債権」は、小さいときにお金のための人生設計のみを課せられた人のものになるのでしょう。私たちはあまりにも目に見えるもののみを追求してきたのではないでしょうか? 
 行動にしてもそうです、ココロクバリということは言っても、実際には「言われたことだけはやりなさい」「言ってくださればいたします」「言ってくださらなければわかりません」……。私はしばらく前から脱いだ自分の靴を綺麗に並べるだけでなく、飛び散っている靴も黙って直すようにしてきました。するとどうでしょう、最近では子供たちの靴がいつも殆んど美しく並べられるようになりました。むしろあっち向いたりこっち向いたりしている靴は大きい靴が多い。これって愉快じゃない? 子供って美しい未来を持ってるってことの証明。大晦日はどうして年越しそばを食べるのかなあ、ハンガリーではレンズマメのスープを食べます、小銭が沢山くるようにって。塵も積もれば山だからね。また来年も遊びを美しく出来るように小さい子供たちの手助けをしましょう。美しくなければ遊びとはいえませんからね。では皆様にも良い新年が来ますように! 

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