言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.23

毎日が遊びの幼児たちの助っ人は「わらべうた」

え・鈴木伸太朗
 明けましておめでとうございます。今年もこうしてご挨拶できて嬉しいです。それにつけても寒いですねえ。北風ぴいぷう吹いている……ああ、こすり合わせる手のぬくもりが暖かく、ありがたい日々です。
 いつも暮れになると私は幼児たちと裸火を見つめます。どこかの部屋に拍子木などがあるとそれをたたいて「カチカチ、火の用心!」と言うと「マッチ一本火事のもと〜」なんていってくれる子どももいますから、まだまだ火の用心の声はどこかに残っているのかもしれません。しかし、最近裸火を見る機会が減っていることだけは確かです。タバコをマッチやライターでつける姿も身近にはあまりない。ガスも自動点火、風呂焚きなど子どもの仕事だったものも消え、たき火も殆んどない。クリスマスのアドヴェントでローソクを毎週つけることも殆んどといってない。でも人間にとって火は大切なものです。火もろ 火もろ 火はどこどこよ あの山越えて この谷おりて 火はここ ここよ
 この歌を歌っても幼児は始めはポカンとしています。「火もろ」と言う言葉がわからないのでしょう。東京近辺ではあまり使いませんからね。でも何回か聞くうちに火のことを歌っているらしいと思い始めます。火は山から来たらしいと……。
 そのときのグループの雰囲気やレベルに合わせて、ウサギが山の上の人から持ってきた話か、プロメテウスの話をします。話を聴く間に火山の噴火によって人間は火を持てたのではないか、とか木と木をこすり合わせて火を出した、とか石を打ち合わせて火を出したなどと言い出すグループもあります。
 ライターやマッチで火を出すと動物のように飛び退ります。火の色を観察したり、熱いのか冷たいのか観察したあとで私のローソクから自分のローソクへ火をもらいます。保育園や幼稚園では年長児しかローソクを持たせてはもらえません。ローソクを持ちながら私のあとについて歌いながら歩きます。前の人の髪の毛を燃やさないように、人の服に火がつかないように、蝋が床にこぼれないように注意が必要です。時々は手に蝋がたれることがありますが、良い経験です。飛び上がってローソクを放り出す子はまだいません。このくらいなら我慢できるということを体験することは貴重なことなのです。緊張して部屋の中を美しく歩き、綺麗な輪になって片手で持ったローソクを少しゆすってみます。炎もゆれ、黒い煙が流れます。
 フッと吹き消します。すぐ吹き消せる子、なかなか息が足りなくて消えない子など様々です。消えると白い煙が出ます。ホッとする瞬間です。「くさい」と言う子、「ケーキの匂いがする、おいしそう」と言う子など様々ですが、「ケーキ云々」を聞けば「ハッピーバースデイー」をやってるんだなと想像できます。
 静かに炎を見つめていると、火は美しく、静かで暖かい、しかし危険であると言うことがわかります。人間にとってとても重要であることもね。どんどん生活が便利になり、機械化されていく現代において、幼児期から基本的なことをしっかり身につけておかなければいけないと考えると、空気、土、水、火など避けてとおることは出来ません。
 子どもの毎日は遊びであることは周知のことですが、英会話、習い事、文明の利器を使ってのゲームなどに励む前に、母の言葉、五感を磨くこと、善悪の判断を心にしまうこと、倫理観と言うかモラル観をつけることがまず先決と私は考えます。しっかりしたモラル観を備えた人しかパソコンとか携帯電話など使えないんじゃないかなと思うと、幼児期のしつけが実に大きな意味を持つことに思い当たるのは私だけでしょうか? 
 毎日が遊びの幼児たちの助っ人は、わらべうた。また今年も幼児たちと一緒に彼らが立派な大人になるための手助けをしようと思います。

.

「わらべうた」websiteの記事・写真の無断転載を禁じます。
Copyright 2005 Shimin-kawaraban.All rights reserved.