言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.21

向こう横町のおいなりさんへ

え・鈴木伸太朗
 紅葉も大分すすみ、山茶花の花が可愛く咲いています。相模川も中津川も水位が低くなりました。依知神社の公孫樹ですが、去年も今年も部分的に何か変なのです。葉っぱの外側だけが黄色くなり、真ん中は緑のまんま、そして去年は茶色になりました。今年はどうかなと思って通るたびに観察するに、どうやら去年と同じ。7割がたは黄金色になって、下の地面に黄金の絨緞が敷かれるのですが、3割くらいの枝葉は排気ガスにやられてしまっているのでしょうか、心配です。
私が早く自宅を出ると、川の上で舞っているとんびに出会いますが、少々遅く出るともう居ません。食事が終わったのかしら。ずい分前のことですが、福井のホテルの下に堀があって、鴨や鯉、ヘビもいた、とにかく朝食の余ったパンを投げると争奪戦、それが面白くて食べるのも忘れて投げているととんびが来て、すばやくもって行きました。凄く早いし、目も良いってことを実際に見ました。でもまだ川の上で舞っているとんびが獲物を取るところは見たことがありません。
 とにかく決定的瞬間を見られないまま川を二つ渡ってサイド橋の先を左に折れるとおいなりさんの鳥居が幾つもあります。
 するとふと口をついて出るのが「向こう横丁のおいなりさんへ 一銭あげて ざっと拝んでおせんの茶屋へ 腰をかけたら渋茶を出して 渋茶斜めに横目で見れば 粟の団子かお米の団子か お団子団子 その団子あの子にやろうか この子にやろうか とうとうとんびにさらわれた」という歌です。この歌は、粟の団子、お米の団子、泥の団子などがあり、色々な種類のお団子が歌われていますので、どれが正しいかは分かりません。それに多くの地方で歌われています。一体どうしてかしらと思ったら、おいなりさんはどこにでもあったからかな?ひとつの信頼できそうな筋によれば、江戸時代、江戸のどこかのお茶屋さんにおせんさんと言う小町娘が働き出した。あまりに別嬪さんだったので浮世絵師のモデルになった。そしてその絵も売れたけどおせんさんの働いているお茶屋も有名になってお客が沢山きて大変繁盛したそうな。おせんさんは美人で気立てが良くて、有名人になってもちっとも驕らず、お嫁に欲しいというお金持ちも大勢来たらしいけれど、貧乏旗本の三男坊か誰かと結婚して地道に幸せに暮らしたということです。きっとこういうおせんさんにあやかりたくて、ほうぼうのおいなりさんのお茶屋さんあたりがはやらしたのかもしれません。
 11月の中旬の1週間、白山交差点の近くにある素敵な喫茶店で、このシリーズにたびたび登場する鈴木伸太朗画伯の個展が開かれました。会場となったゆいという喫茶店の雰囲気に良くマッチして、伸太朗先生の絵が静かに、にこやかに掛けられて、おまけに一日私のおしゃべりの機会もいただけました。実は伸太朗先生は搬入の日にお財布をゆいの前で落とされたのです。先生はすっかり落ち込まれたであろうと想像いたします。ところが拾った方が交番に届けてくれて本当にハッピーでした。厚木での個展が悪い印象で始まるどころか、厚木という町は良いところだということになりました。この会場となったゆいという喫茶店も静かでケーキもお茶もコーヒーも美味しくて、これからはちょくちょく休みに行きたいところになりそうです。こうして霜月が終わり、師走に突入です。確か4〜5歳のときに祖母に「シワスってなあに?」と聞いたら「お師匠さんも走らないといけないほど忙しい月のこと」という答えが返ってきました。なるほど、読んで字の如し。

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