連載「今昔あつぎの花街」
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飯田 孝著(厚木市文化財保護審議委員会委員)
ではここで、明治39年(1906)8月に行われた厚木町花柳界芸妓人気投票について、「東海新報」の記事から紹介しておこう。 「東海新報」によれば、「久しく消沈しゐたりし厚木町の花柳界も、夏期に向ひてよりは大いに景気付き、近来は殆どお茶挽猫皆無のありさまにて、中々上景気なるに、搗て加へて(かてて加えて。「更に」の意)芸妓投票の事ありし為、一層活気を添へたるが」、「目下の概況を報ぜんと」記事にしたものであるという。 なお、記事中にある「お茶挽猫(おちゃひきねこ)」の「お茶挽」とは、芸妓や遊女が、客がつかなくてひまなことであり、「猫」は猫の皮を胴張にした三味線の異称であることから、三味線をつかう芸妓の異称ともなっている言葉である。 さて、その概況とは、 〆の家の〆次 当選した〆次は、「町内の老若男女、奥さん連より妻君達までの愛顧一身に集まりたる為」、当選の栄を得た。〆次は近日中にひいき連を招待して、当選祝とお礼を兼ねた宴会を開く予定であるという。 大沢家の大吉 大吉は、7月中旬に「或る客筋のお安くない」人と徒痴狂(とちぐるい。「ざれあう」の意)って、「冗談から困った事になり」、その上「脳震疼(のうしんとう)とやら云ふ病に犯され廃業して」看護婦杉山方に引き取られて現在療養中である。 浜田屋の小蝶 小蝶は、過日の投票には高点で当選しようと、大動運を行った。主人からは、7,000票もあれば当選間違い無いといわれ安心していたところ、当選が何万という数にのぼってしまったため、「オヤオヤと、青菜に塩の姿」となったとか。 高島亭の太郎 太郎の客に対するもてなしぶりは姐(ねえ)さん株にも劣らないところがあるが、客によっては人が違ったように毛嫌いする性質のため、「時々大事の客を玉なし(たまなし。「だいなしにする」意)にすることがあるという。 大和屋のとし子 とし子は、今年1月から一本(いっぽん。「一人前の芸妓」の意)になって、中々人気がある。この妓(こ)は年齢、行動共に少女じみているけれど、「お客とサシとなると」、年に似合わぬ客あしらいで、「如何なる渡辺の綱的人物(源頼光の四天王の一人)なりとて、必ず引き止められて」、よろい兜もぬぎすてて、たちまち有頂天にさせられてしまうとのことである。 「東海新報」の記事文末には、「(まだある)」として続きのあることを示唆している。当選した〆次は、最初の厚木音頭に曲付した〆の家〆次であろう。 〆次について、明治24年(1891)、東町の大坂屋で生まれた「主人の叔母さん」は、「郷土今昔物語 厚木の花柳界」(『神奈川県央公論』)誌上で次のように語っている。 「芸者といえば〆次というぐらいのいい芸者」がいました。あれが名妓というんでしょうね。美人という程ではないが品があって、三味線、鼓、太鼓、お琴、踊りから茶の湯に生け花、なんでも出来ないものがない、この人が長(おさ)で若い妓に芸とお座敷の心得を厳しく仕込むんですから、その頃の芸者は風格というか、品格がありましたね。何しろお客が芸が出来るから、芸なしでは、お座敷に出られないんですよ。」 〆次が営業した置屋は〆の家。大正末年頃の『厚木芸妓屋組合名簿』を見ると、〆の家はその筆頭に記されているのである。 |
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