連載「今昔あつぎの花街」
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飯田 孝著(厚木市文化財保護審議委員会委員)
この厚木音頭は、現在唄われている「厚木音頭」(栗原白也作詩・大村能章作曲)とは全く曲調が異なり、江戸情緒を伝える清元調の曲であった。大村能章作曲の「厚木音頭」が発表されると、旧来の「厚木音頭」は曲名を「厚木小唄」と変更して歌われるようになるのである。 清元は清元節のことで、清元延寿太夫を祖として文化年間(1804〜1807)頃に始まった浄瑠璃節の一派である。清元延寿太夫は富本節から出て清元節を創始したが、曲調は富本節よりさらに大衆的で清艶であった。
「詩の町・歌の村」(昭和初期の新聞記事)によれば、この「厚木音頭」は「先代吉村太平氏、先代古久屋仁藤佐兵衛氏、若松屋岩崎初太郎氏、高島亭平本綱五郎氏等の先覚人が苦心して作り上げ、厚木花街の勧進元〆の家〆治姐さんが研究重ねて曲付けしたと云ふ、30年の時代が付いたものなのだから、今日此頃慌てて作りだしたそんじょそこらの小唄音頭と少しわけが違ひますと、町では凄い鼻高だ」と紹介されている。 |
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