2002.08.01(特別編)  厚木の夏は熱かった

写真は交流テント村ステージで演奏するミセラネア
 日本で初めての開催となった「アジア太平洋ハーモニカ大会2002厚木」は鮎祭りと重なる8月4日までの6日間、「さよならコンサート」の賑やかなフィナーレをもって幕を閉じた。前半の4日間は連日35度を越す猛暑で、街中が熱風にうだっていた。
 海外からの参加組500人を含めておよそ3万人の人たちで大会は賑わった。これまでのアジア大会のなかでは最大規模の大会となった。
 厚木のハーモニカの父、岩崎重昭先生もコンテストの審査委員長として、あるいは講演・コンサートでの演奏などで元気な姿を見せておられたし、厚木のハーモニカ界を牽引する大矢博文先生も今大会の事務局長として溌剌とした姿を見せておられた
 厚木市と全日本ハーモニカ連盟との二人三脚も功を奏して、マスコミも含めた各方面へのアピール度を高めた。
 NHKをはじめ各テレビやラジオ局、そして新聞が再三にわたりアジア大会の開催を報じた。
 厚木がハーモニカの街という独特でオリジナルなイメージが喧伝され、相当に広範に知れわたったのではないだろうか。
 厚木で初めてともいわれる国際大会の盛況は、市にとってもハーモニカに関わる者にとっても歴史的ともいえる出来事であったはずだ。
 連日のように開催された大ホールでのコンサートで、1,400の客席を常に埋めてしまう集客力というのはものすごいパワーである。これほどまでに熱狂を呼ぶ、しかもハーモニカというほんとうに小さなちいさな楽器がという事実は驚異でさえある。
 さて、今大会で特筆されるべきことはアジア諸国の大躍進である。これまでともすればハーモニカの演奏レベルにおいても日本、とりわけ厚木の岩崎重昭先生の門下生によってハーモニカ音楽のある部分は領知されているかに見えたのだが、ここにきてアジア諸国の猛追が厚木の地位を脅かしている。
 今回来日した中国や韓国の小学生に象徴されるように、若年層への浸透度では日本は危うくなってきた。
 ハーモニカを単なる自己満足に処する楽器としてではなく、音楽するための楽器としての取り組みは台湾や香港などの方が真剣になされているような印象を受けた。
 3日間にわたって行われたコンテストにおいても、日本勢の劣勢は明らかであったし、わずか2、3の部門で面目を保てたに過ぎなかった。開催国としてはある意味で惨憺たる結果であったといっても過言ではないかもしれない。
 さまざまに考える素材を提供してくれ、課題とともにあらたな出発点を探し当てたという意味でもアジア大会はエポックメーキングな事件であったに違いない。
 大会運営の、あるいは通訳のボランティアの力も存分に発揮された。自主的に関わるというその精神と実践の経験は必ず次の国際大会へのステップとなることだろう。
 世界大会が厚木で開かれたら、というのがハーモニカ関係者の夢だが、そんな夢の実現に一歩近づいた今回のアジア大会だったと言えようか。

.