風見鶏

1982(昭和57年).1.1〜1982.12.15

  個性と創造(1982・1・1)

 明けましておめでとうございます。今年はいったいどんな年になるのだろうか。時は刻み、年は変わるにつれ、人と世相もまた歩みつづける。今年も明晰なる判断力でもって、論陣を張りたいと思うので、ひとつご笑覧ご叱正をたまわりたい▼昨年は全国的に校内暴力が多発し、教育の荒廃が指摘された。ご多分に漏れず、この厚木でもイザコザが二件ばかり表面化し、教育文化都市を唱える足立原市長を憂慮させた。
 校内暴力の問題は根が深い。画一教育の弊害が指摘されている今日、いたずらにしつけだけを強化したり、その場限りというアドホック的な対応は、逆に子どもたちの反発を招く恐れがある▼ノーベル賞の江崎玲於奈博士が、日本とアメリカの教育環境を比較して次のようなことを述べている。博士はアメリカの教育は個性開発に重点がおかれるが、日本の教育はグループへの忠誠心、帰属意識が育成されると分析、その結果、アメリカでは個人の能力が最大限に伸ばされ創造的な人間が生まれる可能性があるが、日本の場合は極めて難しいと指摘している▼博士に同調するわけではないが、今後、日本のめざすべき方向性は個性だとか創造性というものに主眼をおいたものになるだろう。教育の分野では特にこうした志向が大切だ。個性を育てる教育、創造性を養う教育は、時としてこれまでの教育方針や教育環境を変えるところから始まる▼それは教育の分野だけに限らない。日本の企業や組織のあり方、家族や地域主義、人々のライフスタイルや生き甲斐などについて、その価値観が問われる時代になることを意味している。

  関東地方の都市ランキング(1982・1・15)
                                      
 厚木市はこのほど、人口10万人以上の関東地方64市の指標をまとめた統計表を発表した。「他市と比べて住みよいまちづくりの指標になれば」とまとめたもので、土地と人口、くらしと環境、教育と文化、産業と経済に大別し、60項目をまとめている▼その中で厚木市がトップの座を占めたのは人口の伸びである。昭和55年度の国勢調査では33・4%の伸びを示しており、現在では人口15万人を越えている。このほか降水量、人口1万人当たりの医師数、大学1校当たりの学生数、人口1人当たりの工業出荷額、卸売業商店数増加率、飲食店の人口1人当たりの販売額などが軒並みベストテン入りを果たしている。さらに預貯金残高では1人当たり180円強と7位の座を占め、県下ではトップの水準だ▼また、財政力、市税負担とも5位以内にランクされており、躍進する厚木市の面目躍如といったところだろう。ところが、1人当たりの公園面積は下位にランクされた。これは全国平均の26平方メートル、県平均の1・7平方メートルよりも低く、国の目標の水準である6平方メートルを大きく下回っている。市営住宅については42位とまことにお寒い限りである▼足立原市長は五日の賀詞交換会で「厚木市は活力あるまち」と形容した。確かにそのとおりには違いない。しかし、公園や下水道の普及が立ち遅れていたり、公共住宅の供給率が低いのでは、まちの発展が偏っている。この偏りを是正するのが教育文化都市の課題だろう。

  公務員への期待(1982・2・1)

 中央法規出版の『明日の都市』13巻に、知事、市長が部下の公務員をどのように見、どのようなことを期待しているのか率直な意見が述べられていて面白い。少し列記してみると「他の自治体の長所を学べ、1円の税金の重みを知れ」(鈴木都知事)「本を読め、ハダシの行政マンたれ、地方勤務を恐れるな、問題意識を持て」(武村滋賀県知事)▼一方、市長では「民間のように対前月、対前年の業績比較を持て」(島野仙台市長)「待遇や労働条件にこだわりすぎるな、地域社会、市民の満足をもって自分の歓びとせよ」(吉田大和郡山市長)「役所は市民の税金を資本とする株式会社、やる気のない人は昇進を期待するな」(岡崎岡山市長)▼とかく親方日の丸的思考、保身と非積極性が指摘されがちな自治体職員にとっては、耳の痛い言葉かも知れないが、各知事や市長は部下に対して、このような希望と期待を抱いているのである。にもかかわらず、公務員のやる気のなさが指摘されるのはなぜか▼それはやる者が報われるシステムになっていないからだ。わたり、通し号棒制という給与制度が誤った平等主義を生み出している。つまり、やる者もやらない者もおなじという給与制度になっているのである▼自治体職員の給与が高いと批判されるのは、単純に国や民間と比較して高いというだけでなく、職員のやる気や仕事の価値評価にメスが加えられなければならない。その意味では現行の給与制度は大いに改定する必要があるだろう。

  談合(1982・2・15)

 厚木市はこのほど社会問題となっている建設業界の「談合」を防止するために、入札制度の改善を行なった。それは入札参加業者全員に「見積書」と「不正はしていない」という誓約書を出させるというものである。見積書の提出は当然としても、この誓約書がどれだけの談合防止に結びくかはなはだ疑問である▼かりに談合をしていても、業者がそのことを公言することはありえないし、誓約書ぐらいは誰でも書ける。問題は予定価格が事前に漏れていたり、業者間の調整によって「今回はA社、次回はB社」といったように話し合いによって業者間の見積価格が決められ、その中で一番安い業者に落札されるという事実をどうするかということである。これは見積書や誓約書ではとても防ぎようにない▼「談合」の防止は根本を断つしかない。それは予定価格の漏洩を防ぐことである。職員と業者との癒着、議員との馴れ合いをいかに断ち切るか、この体質を改めることができなければ、見積書も誓約書もただの紙切れにすぎない▼話は変わるが、議会の人事も建設業者の入札と同様「談合」である。こちらの方は各会派の代表や長老議員などが集まって、「今年は議長をAに、副はBに、監査はCでいきたい。来年はC、A、Bの順にしたらどうか」ということが、まことしやかに行なわれているのである。こちらも談合が公然化している。この談合を防ぐには、少なくとも役職の1年交替をやめるかしかない。なぜなら、こちらには見積書も誓約書もないのだから。

  極秘のテープ(1982・3・1)

 (深代惇郎風に)大きな声ではいえないが、冗談の好きな男から、「極秘のテープ」を入手した。驚いたことに厚木の黒幕の「政治談義」がそっくり録音されている。そのさわりを紹介しよう。話題の中心はやはり、足立原市政の人気についてであった▼「教育文化都市をぶちあげて本人は得意満面だ。最近では余裕すら見られる」「多数与党に支えられている。支持者の評判もまずまずだろう」「とすると、2期目は安泰ということになるな」「まあ、そういうことだ、よっぽどのことがない限り大丈夫だろう」▼「与党の中には、二期目までやるが、3期目はO県議を推すという声もあるようだが…」「いや、本人はどうしても三期まではやりたいらしい」「ところで、愛名はどうなのだろうか。西の方角が気になるが」「県会、衆議院、市長選出馬説など色々取り沙汰されているが、本命はやはり市長選出馬説だろう」「でも、側近が次々と離れている。仮に出ても勝算はないだろう」「まあ、現職の失政を手ぐすね引いて待っているというところだろう」「金はうんとある。問題はK代議士の出方にあるのではないか」▼「ところで、現職の方は金はどうなのだろうか」「もともとないが、そこは蛇の道はヘビ、その道にかけては天才的な側近もいる」「最近キナ臭い話もきくが、まあうまくやっているようだ。N氏がいれば大丈夫だろう」「今のところわれわれの出番はないようだな」▼テープはここで終わっている。果たしてこの話は冗談なのか。

 土地利用のあり方(1982・3・15)

 先頃、県企画部が行なったシステムダイナミックスの手法による、65年の地域将来像は特に県央地区において人口の増加が著しく、開発が進展すると出た。これは市街化区域内の農地(65%減)や林地「75%減)を減らす結果として生まれてくるもので、土地利用や都市整備のあり方に大きな警告を発している▼一番の問題は乱開発と地価の高騰だろう。日本は世界一の地価高騰国といわれ、住宅や公共用地の取得を難しくする一方、所得分配と資産の不公平を招いている。都市整備の施策についてはマクロを都市計画法、ミクロを建築基準法、そして両者の空白を自治体の開発指導要綱が埋めていることは言うまでもない▼この要綱は公共、公益施設の整備水準、開発利益と負担のあり方をめぐって多くの議論がある。施設整備の費用は受益者負担の拡大に向かう傾向が強くなっているが、こうした開発者負担は最終需要者の購入価格に受益者負担の名のもとに転嫁され、結果的には地価高騰の要因になっている。こうしたやり方は自治体にとってはそれなりのメリットがあるが、逆にいえば公共用地の確保を困難にもしているのである▼西ドイツでは自治体に土地の「先買権」が与えられているという。これは土地が適正価格を越えて取引きされる場合に、自治体がそれを許可しなかったり、先買権を行使することによって、自治体が適正価格で買い上げるというものだ。土地取引きの規制がなない日本では、一考に値する。

 女性とコミュニティー(1982・4・1)

 評論家の樋口恵子さんが「女性とコミュニティ」について、面白い発言をしている。それは地域社会において、女性は全日制市民、男性は定時制市民であるというのだ▼地域社会が現実には全日制市民である女性によって多く担われているにもかかわらず、女性の地位が依然として低く、地域のさまざまな方針決定にあまり関与出来ていないというのである▼75年の国際婦人年以来、女性の社会参加が合言葉になっているが、確かに樋口さんの指摘するように社会的評価や責任ある役割はほとんど男性で占められている。自治会長、PTA会長、老人クラブ会長、公民館長、民生委員、社会教育委員、青少年指導員など、ほかにもまだまだあるだろう▼東京などの大都市では女性のPTA会長は珍しくはないが、地方に行くと会長は男性、副が女性といったきまりがまだ多い。女性に参加の資格を与えなかったり、公式の会合に出席することを嫌う風潮もあるようだ。すなわち、女性は地域社会での実務には参加出きるが、決定には参加出来ないというのが実状なのである▼これは家庭や地域に「アタマは男性、手足は女性」という上下関係をともなった分業意識が強く残っているからである。そのくせ、職場人間一辺倒できた男性は定年後、なじみの薄い地域社会へどう参加していいのか分からず四苦八苦している▼樋口さんは、女性の意思を無視して手足としてのみ使おうとするなら、その地域のコミュニティは決してよいものとはなりえないと指摘している。全く同感だ。

  水俣の図(1982・5・1)

 「水俣の図・物語」という映画を見た。たて三メートル、横十五メートルの大障壁画に、水俣病で病んだ生類と被害者二百八十余人が描きこまれている。「苦海だけになった」と2人の画家は、なおも満たされなかった▼水俣の「浄土」の美しさとよみがえりをどう描くことが出きるか。原爆と反戦映画を描き続けて30年の丸木位里、俊夫妻。その晩年にもっとも困難なテーマに挑んで、ふたたび2人の水俣への旅が始まったのである。映画は絵の画面に、石牟礼道子の自詩朗読、武満徹の音楽を挿入し、それぞれにとっての「水俣」と「海」のテーマをうたっている。
▼監督の土本典昭は「水俣が忘却されていく中で、忘れることの出来ない人たちが、なぜ忘れることが出来ないのか、その理由だけは分かって欲しい」と話しているが、この映画を見ていて「水俣はまだ終わっていない」という認識を新たにした▼水俣再訪の中で、丸木位里・俊夫妻は新たな体験をしたという。それは言葉少ない胎児性患者との対話からだった。2人の娘さんが、うしろ姿を歩いていくだけの画面、そのうしろ姿の中におし殺された怒りを引きずり出さずにはおかない。私たちは画面の中からその無心に告発する強い感動を覚えるのである▼この映画が厚木で、筆者の友人を中心とした市民の手によって上映される。実に喜ばしい限りだ。折しも今、反核の署名が行なわれている。丸木夫妻はあの有名な原爆の図も描いている。それはこの水俣の図と同次元にあるのだ。

  国連協会(1982・4・15)

 「日本国際連合協会神奈川県本部厚木支部」という組織がある。何だろうと思って調べてみると、国際社会の平和と安全を守るため、各国が友好関係を保ち、国際親善と交流を深めるという国際的な組織で、厚木支部は県本部の下部組織ということになる。今までにもあったらしいが、こと厚木に関していえば、有名無実の存在だったらしい▼今年の2月、厚木支部が組織の拡充を行なった。会長は足立原市長で、このほか6名の副会長、そして30名の理事がいる。役員をどのようにして選ぶのかは知らないが、いずれにしてもこの会の事業は国際親善にある▼厚木市は57年度の予算として、この会に1,050万円の委託金を計上した。事業の内容は国連加盟国から厚木市に要人を招待し、交流親善につとめるというものである。国の選定に当たっては会に任されるが、今回の招待先は中国である。というのも、これにはそれなりの裏がある▼厚木市が2年前から揚州市などに「市民訪中団」を派遣して、交流を深めており、足立原市長にはできれば中国の揚州市と友好都市を締結したい意向がある▼ところが、理事者と議員の代表者会議で、一部与党会派の代表者から反対にあった。友好都市を結ぶのはそう簡単ではない。事業は何とかして続けたいが、行政施策の中に大金を注ぎ込むわけにはいかない▼そこで苦肉の策として出てきたのがこの国連協会である。市が委託金を出し、事業は協会が自主的にやるという方法だ。市民レベルとあって聞こえもいいし、協会自体もひょんなところから陽の目をみた。だが、事業は揚州市との交流にある。こじつけもいいところだ。

  多田哲也君を支える人々(1982・5・15)

 義務教育を四年間の家庭訪問で終了した、重度障害者の多田哲也君(厚木市緑ケ丘在住)が20歳を過ぎた。そして今、21歳の春、新たに擁護学校の高等部に学ぶ。この哲也君の通学送迎に、ボランティアが1人、2人、そしてまた1人が次々と名乗りを上げた▼消防士さんが、お米屋さんが、そして家庭の主婦が哲也君を励まそうと集まってきた。合わせて12人。この人たちの勇気にまずもって感謝をしたい▼みなボランティアを行なうのは初めてという人たちばかりだ。不安もあっただろう、もし出来なかったらどうしようという心配もあったろう。だが、この人たちは確実に一歩足を踏み出したのだ▼昨年は「国際障害者年」だった。もちろん、昨年ばかりでなく、「共に生きる」というテーマは永遠に続く。国や自治体で、そして民間で、あらゆる人たちがこのテーマに取り組んだ。お祭り騒ぎの一年で終わってしまうと心配もされた。しかし、「共に生きる」というテーマは確実に根を下ろしつつある。家庭や職場や地域で障害者とのふれあいが始まった。多田哲也君の送迎ボランティアもその一つの表れと受けとめられる▼ ボランティアの人たちはみな「自分のため」と異口同音に言う。ボランティアだというおごりもない。だから、彼らは無理は長続きしないことも知っている。あくまでもできる範囲でしかも普通にということだろう▼哲也君のボランティアは多ければ多いほどいい。それは送迎という物理的な行為以上に、人とのふれあいの輪を拡大する道につながるからだ。

  談合その2(1982・6・15)

 全国的に「談合」問題が大きくクローズアップされている中で、厚木市でも学校建設にからむ建設業者の談合が表面化した。入札八件のうち五件までが事前情報とピタリ。市は落札結果を無効にするとともに、別の一件についても入札前に情報が流れたため、入札を急遽取り止めたというから、その狼狽ぶりがうかがえる▼今年の2月、原川助役を中心に入札制度の改善に取り組んできただけに、市としては残念だったに違いない。「不正はしていません」という誓約書もただの紙切れに終わってしまった 先ごろ開かれた市議会の一般質問では、疑惑のある業者についてはペナルティを課すことも辞さないという市の態度も一歩後退してしまった。それは一流業者を締め出すと、今後の再入札に響いてくるというのである。もちろん、うなづけないことでではない。だが、これでは業者に対する温情策と受け取られても仕方がない▼今回の談合問題については、原川助役が辞意を表明したということで、さらに大きく波紋が広がった。つねづね談合防止については厳しくのぞむというのが助役の持論でもあった。その助役が辞意を表明したのである。談合問題をめぐっては助役と同市幹部との間に考え方のズレがあったといわれているが、真相は分からない▼いずれにしても、ことの真相をはっきりさせることだ。そして毅然たる態度で対応にあたることである。

  腕時計をはめた桃太郎(1982・7・15)

 「桃太郎」が62冊、「三匹の子豚」が42冊。これは桃太郎や三匹の子豚について書かれた本の数である。同じ題名の本が何でこうもたくさん出てくるのだろうか▼桃太郎というのは誰でもご存じの通り、鬼退治の物語である。この鬼退治の物語が、絵や文など手を変え品を変えて62冊もあるのである。それぞれが異なっている。桃太郎という話は一つしかないのに、作られる本は驚くほどたくさんある。たとえばこんな絵本がある▼鬼ガ島の鬼が腕時計をはめているという本だ。いったいこんな桃太郎の話があるのだろうか。絵と文がきっちりしていないばかりか、故意に桃太郎の話をねじ曲げている。鬼ガ島の鬼が腕時計をはめている、そんなことがありうるはずがない。にもかかわらず、こうた類の本が、まことしやかに桃太郎の物語として、しかも一流の出版社から出されているのである▼また、こんな絵本もある。足柄山の金太郎がお母さんのもとで勉強していると、友達のリスやウサギが遊びに来るという場面がある。そこで金太郎がどうするかというと、その友達には目もくれず、ただひたすら勉強に打ち込むという話が教訓的に描かれているのである。こんな絵本を子どもたちが読むと一体どんな人間に育つのだろうか▼現代は、こうした類の本が氾濫している。だから、桃太郎の本を無条件に買って与えると危険である。つまり62冊ある桃太郎は全部が全部本当の桃太郎ではないのである。本は注意して選ぼう。

  七三一部隊(1982・8・15)

 関東軍防疫給水部本部・満州第七三一部隊。すでにご存じの方も多いと思うが、厚木市在住の作家森村誠一氏が、数多くの証言と資料をもとに書き下ろした日本軍の加害の記録である▼このドキュメント(記録)は、戦争の持つ悲惨さや残虐性を描いているばかりでなく、戦争という異常な事態が人間を狂気にかりたてていくという状況をえぐり出していて恐ろしい▼石井四郎軍医中将が率いる「満州第七三一部隊」は、満州国ハルビン郊外の平房にあった。この部隊は「悪魔の部隊」と呼ばれ、マルタと呼ばれた中国人、満州人、ロシア人、朝鮮人など3,000人の捕虜に対して、チフス、コレラ、ペスト、青酸ガスなどを使ったありとあらゆる人体実験を行なった。中には生きたまま解剖されたマルタもいたというからあらためてその残虐性に驚く。マルタは人間としてではなく、単なるモノとして扱われたという▼森村氏はこの悪魔の部隊の記録を、現代に送り出すことによって戦争を加害の側から告発した。恐ろしいことは、人間が異常な事態におかれると異常なことが正常なものとして罷り通ってしまうという異常さである。戦争は人を殺すばかりでなく、人間の心をもゆがめてしまう▼今年も8月15日がやってきた。戦争を知らない世代が国民の過半数を占め、戦争体験が次第に風化していく中で、森村氏のドキュメントは私たちに、衝撃的ではあるが戦争がいかに気狂い地味たものであるかを教えてくれる。

  天気予報の名人(1982・9・1)

 昔から土地に伝わるで先祖伝来の言い伝えに天気俚諺がある。少しまとめてみると「スズメが朝早くさえずれば晴れ」「朝虹は雨、夕虹は晴れ」「富士さんが笠をかぶれば雨」「白雲糸を引けば暴風が来る」「夕蝉が鳴けば明日の好天」「キジ鳴き騒げばば地震あり」「サツマイモの花が咲くと災害あり」など。ほかにもまだいろいろあるが、こうした「ことわざ」が馬鹿に出来ない天気予報的中率を持っている▼農村や漁村に行くと、「天気予報の名人」といわれる人がいて、自然の動き、天気の推移、地震、津波、火山の爆発、長雨による水害などを実に巧みに言い当てる▼厚木市小野に住む小瀬村善雄さんもその1人だ。気象の長期予想を始めてから34年。的中率は外れて60%、当たって80%というから、その正確さに驚く▼小瀬村さんの仕事は農業だ。農民にとって天気は作物の収穫に大きな影響をおよぼすだけに、もっとも気がかりなものだ。これまでにも自分の予報を参考にして、気象の変化による農作物の被害を最小限に食い止めたという▼その小瀬村さんが大地震の襲来を来年2月24日の夕刻と予想した。そればかりでなく、来年は干ばつ、大型台風の襲来など四重苦の災害に見舞われるという。小瀬村さんによると、来年は人間でいう「厄年」に当たるそうだ。人間は厄払いも出来ようが、天変地異ではそれも出来ない。天災は忘れたころにやってくるというから、小瀬村さんの予想を戒めにしたい。

  落穂拾遺(1982・9・15) 

 日本の文化は、“語り部”による伝承文化を抜きにしては論じられない。先人たちが幾多の困難と闘いながら守り抜き、自然や世の中から学びとったものを、使い捨てることなく、後世に残した有形無形の文化遺産は図り知れないものがある。しかも、その“語り部”の担い手は多くの名もなき老人だった▼今、親から子へ、子から孫へ、そして何よりも年寄りから孫へという伝承機能は、戦後の経済成長の中でどこかに失せてしまった。荻野公民館長の花上義晴氏は『ふるさと文庫』の中で次のように書き記している▼「都市化と核家族化は“語り部”である年寄りと、そのもっとも良き聞き手である子供たちとを引き離してしまったのです。かつて囲炉裏を囲みながら祖父母の話に聞き入ったあの子供たちの姿は、今では塾通いやテレビ、漫画の氾濫の中に埋没してしまったようです」▼都市化と核家族化は、親子や世代間の断絶を招き、年寄りの話に耳を傾けない風潮をかたちづくってしまった。伝承文化の危機である▼しかし、それをやらずして新しい地域や文化の創造は芽生えて来ない。その作業は決して華やかではないし、単なる懐古趣味でもない。古老の話に耳を傾けることは、伝承文化を継承すると同時に、世代間の交流を促し、老人の生きがいを呼び起こす。そしてこのことは新しいふるさと意識の創造へと結びつく▼落穂拾遺。この取り残された落穂の中にも、人生の哀歓や感動、そして生きる喜びがあるのだ。

  文化行政(1982・11・1)

 今年の厚木市民文化彰が、俳句の河島彷徨子さん、医師の杉浦喜雄さんに贈られた。長年、それぞれの分野で活躍されてきただけに喜びもひとしおだろう▼最近「文化行政」という言葉が出てきて、文化が行政の一つのテーマになっている。ところが文化にはまだまだ拒絶反応が少なくない▼1つは文化は行政になじまないという考えだ。むしろ行政は文化に介入すべきではなく、市民の自発的な創造に任せるべきという見方である。しかし、市民の文化活動に対して行政の果たす役割が大きくなってきている今日、この議論は的を得たものではない▼2つ目は文化は市民とかけ離れたものであるという見方である。これは文化とは職業文化人や芸術家だけのものという発想に結びつく。今日言われている文化とはそうではなくて、市民の生活に密着した生活文化という概念だ。文化行政を進めるに当たって、文化人や芸術家だけに相談をもちかけるという例が多いが、こうした人たちはむしろ文化で飯を食っている業者といえる▼市民の生活文化とは、経済活動からかけ離れたものや飯の種にならないものまで含まれる。いわば一種の「遊び」である。従って文化を文化人だけのもの、文化で飯は食えないという発想は、本質的に文化を理解した考えとはいえない▼11月3日は文化の日。文化について考えてみよう。

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