第702号(2007.03.15)

07県議選 現職2・新人4の6人が立候補予定

市長の辞職勧告決議案を可決   厚木市議会

3月2日、本会議で陳謝する小林市長

辞職勧告決議案を1票差で可決
 厚木市議会は3月2日、1月の市長選で供応買収の容疑で逮捕者を出した小林市長派の選挙違反事件を受け、「小林常良市長の辞職勧告決議案」を、賛成多数で可決した。
 決議案は最大会派の民政クラブ代表・久崎教生議員が提出したもので、同会派の市議8人も賛成者として名前を連ねた。その内容は「小林市長陣営の選対総本部長で、元県会議長の小沢金男氏が供応買収の容疑で逮捕されるという衝撃的な報道がされ、選挙に対する失望感が漂った。このことは市民の信頼を裏切り、厚木市のイメージを大きく失墜させた。この失ったイメージと市民の選挙や行政に対する不信感は、小林市長が行政運営を進める上で、大変困難と予測され、その責任は重大である」としている。
 質疑・討論では、「公職選挙法で当選者に責任が及ぶのは連座制である。それがないのだから辞職を勧告するのはおかしい」「決議案は弁明措置も対抗措置もない一方的な制裁措置。法的拘束力のないものをやっても意味がない」とする反対意見などが出された。
 同議会の定数は28だが、議長のほか県議選に出馬するため、本会議冒頭で辞職願いを受理された松田則康議員を除く26人で採決が行われた。その結果、民政クラブと公明党を合わせた13人が賛成、市政クラブ、厚木クラ
ブ、神奈川ネットワーク運動、厚木市民の党、民主党、厚木21の6会派12人が反対したが、1票差で可決された。共産党の森屋騏義議員は退席した。
 賛成したのは市長選で山口巖雄氏を支援した市議で、法的拘束力のない辞職勧告決議案をあえて提出したのは、会議録への記載とマスコミ報道による市長のイメージダウンを図るのがねらいで、市長選のしこりが議会にまで持ち込まれた格好。
 辞職勧告案の決議後、小林市長は「市民の皆様のために全身全霊をこめて市政に取り組むことが信頼回復の道」と述べ、辞職する考えのないことを明らかにした。

 不信感を払拭し説明責任を果たしたい―ごみ中間処理施設問題で小林市長が答弁

 厚木市の小林常良市長は、3月8日に開かれた市議会の一般質問で、暗礁に乗り上げている「ごみ中間処理施設建設候補地選定問題」で、「市に対する不信感を払拭するためにも、情報公開を通じて説明責任を果たせるよう話し合いの場づくりを進めたい」と答弁した。
 森屋騏義議員(共産党)と簗田晃議員(公明党)の質問に答えたもので、同市長は「(候補地選定の発表は)地元の皆さんにとっては唐突であったと思う。資料を拝見して多くの要望や抗議があることはよく承知している。一方ではなくてはならない施設でもあり、率直に言って今悩んでいる。情報が棚沢地区の皆さんによく伝わっていない部分が多いのではないかと思う。今の状況はまず話し合いのできる環境づくりを行うことが先決だ。誠心誠意地元の皆さんと話し合える場づくりに取り組みたい」と述べた。また、「白紙撤回する」という噂については「そうした発言をしたことは一度もない」と答えた。

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語り・朗読の武順子さん  3月からひとり語り「宮沢賢治を読む」

 厚木市長谷に住む語り・朗読の武順子さんが、3月28日から毎月第4水曜日の11時から、同市飯山のぎゃらりー&茶房「結」で、「武順子のひとり語り\宮沢賢治を読む」を開く。
 アナウンサー志望だった武さんは、大学を卒業して間もなく、下北沢の小劇場で上演される子ども向け芝居の脚本を書いたり朗読の仕事をしていたことがあったが、結婚後は、子育てに追われその道から遠ざかった。本格的に興味を持つようになったのは東京から厚木に転居して子育てを終えた6年ほど前。足柄山中のうどん屋で開かれた早稲田小劇場出身の古屋和子さんのひとり語りを聴いてからだった。
 「一目惚れというか、近松(門左衛門)の作品を語る古屋さんとの出会いはまさに衝撃的だった」。武さんはその場で「弟子にしてください」と頼み込むと、古屋さんは「弟子は取らないけれど、いいわよ」と快諾してくれた。以後、新横浜と四谷に月1度通い続けている。
 しばらくして師匠の古屋さんから「近松をやってみない」と勧められ、「冥土の飛脚」や「曾根崎心中」などの近松作品に取り組むようになった。そのかたわら東京や横浜のお寺、音楽ホール、ギャラリーなどで舞台に立つようになり、厚木では3年前から愛名の本照寺で毎年夏にひとり語りを行っている。今年の1月、原宿のスタジオで山本周五郎の「おさん」を上演=写真=したところ、大変好評であった
ことから、本格的な公演を行う気持を固めた。6月には京都祇園の町屋を改造した場所で初の舞台に立つ。
 「語り、朗読は役を表現するのではなく、全部ひっくるめて物語を表現できる。それが一番の魅力。近松などの情念的な作品が得意」というが、周五郎や賢治、谷崎潤一郎の作品などもこなす。
 「義太夫や文楽のように演出を入れず、作家の気持ちが込められている作品に忠実にやるのを心がけている。作者の意図が伝わったときはたまらなく嬉しい。まさにライブですね」。
 「10年は近松をやろうと思っているので、あと2つ位はできるかなと思う。近松の後は『源氏物語』をやってみたい」と意欲十分。だ。28日は賢治の作品をたっぷりと聞かせてくれる。
 参加費は1人1,000円(コーヒーなどの飲物付き)。食事希望者は要予約。問い合わせはぎゃらりー結。247・7877番。 

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海洋画家・飯塚羚児偲び「評伝」刊行   画家や音楽家、随筆家など45人

  大正・昭和・平成の画壇を駆け抜けた海洋画家である飯塚羚児画伯を偲び、彼を取り巻く人たちが画人の生涯を毀誉褒貶に描いた評伝『怪物画人飯塚羚児』が、このほど「大和・花の画房」より刊行された。同画伯を偲ぶ刊行委員の手によって編纂されたもので、画伯と交流のあった画家や音楽家、政治家、随筆家、落語家、画廊店主、海上自衛隊OBなど45人が思い出を綴った。
 同画伯は大正・昭和・平成の画壇を駆け抜けた孤高の画家で、戦前は東京小石川に住んで「少年倶楽部」「幼年倶楽部」「譚海」などの雑誌に帆船画、艦船画、航空画などの挿絵を描くことで名を馳せた。戦後は町田市の玉川学園や久里浜に移転して、旧海軍の戦艦大和や咸臨丸、帆船日本丸などの船を描いて「海洋画家」と呼ばれ、晩年は河童や動物の絵、屏風画、詩歌、絵手紙なども創作、横須賀市と大和市を舞台に多くの文人墨客と交流を深めたが、平成16年99歳で他界した。
 『怪物画人』には、画伯を代表する作品「日本丸」や「戦艦大和」なども挿入されたほか、童謡や童謡詩、没後に発見された歌集「港に居た頃」、年譜なども収録された。
 刊行委員会の編集長をつとめた随筆家の依田信夫さん(大和市)は「オレは平成の平賀源内だ。絵筆も握ればペンも執る。発想も狂気なら、発明もお茶の子さいさいだ、と天下に咆哮して彩管をふるった老大家の在りし日の姿を思い浮かべてほし
い」と話している。
 B6判206頁で1700円(送料別)。問い合わせは大和・花の画房。電話264・7946番。

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テーブルセットづくりに親子で汗  北小学校PTAが校庭に憩いの広場を整備

 厚木市立北小学校(滝本かな子校長・児童数509人)で3月3日、校庭の一部に憩いの場をつくろうとPTA(大野貢市会長)が木製テーブルといすの製作に取り組み、花壇の一角に4組のテーブルセットが設置された。組み立てやペンキ塗りなどの作業には保護者や児童約30人が参加した=写真。広場は、友(ゆう)と愛(あい)の言葉にちなみ「ゆうあい広場」と名付けられた。
 広場は、創立40周年を迎える同校の提案を受け、PTAが校庭の一部約60平方メートルを整備したもの。テーブルは、直径約1メートル30センチ、高さ60センチで、天板は電気工事で使う木製ケーブルドラムを取り扱う業者から廃材を入手。テーブルの脚やいすは、スギやケヤキ、サクラの丸太で、愛川町の山林から地権者の協力を得て、PTA自ら切り出し加工した。
 この日、父親たちはテーブルにスギ材の脚をボルトで固定したり、いすが適度な高さになるように丸太をのこぎりで切断する作業を実施。児童らもテーブルセットを広場に埋め込む穴をスコップで掘ったり、テーブル天板を白いペンキで塗るなどの作業に取り組んでいた。参加した児童たちは「ここで何をしようかな」「みんなで、おやつを食べたい」などと完成を喜んでいた。
 滝本校長は「テーブルセットは1学級分あるので、理科の観察やスケッチ、読書や野外給食などに使いたい」大野会長も「テーブルを囲み、木のぬくもりに接しながら、先生や子どもたち、保護者や地域の皆さんが集える憩いの場になれば」と話していた。

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春を見つけに野草園へ行こう

  厚木市荻野運動公園で、昨年12月から冬期閉園していた「野草園」が3月1日オープンした。園内では福寿草や三角草や節分草などの野草が小さな花を咲かせ、訪れる人たちの目を楽しませている=写真。
 野草園は自然林と地形を生かした回遊式庭園の手法を取り入れ、東丹沢周辺の植物を保護、再生している。園内には約800メートルの木製デッキの散策路が設置され、11月までの間、野草約200種8万株や1千本の樹木が楽しめる。
 オープン初日のこの日、開園を待ちわびた野草ファンたちが訪れ、園内の散策路をゆっくり歩きながら森林浴を楽しんだり、カメラを手に小さな花を撮影する姿が見られた。
 仕事が休みでリフレッシュしに来園したという梅崎せつ子さん(57)と嶋崎輝子さん(49)は、「家から近いので毎年よく訪れます。きれいに整備され、とても気持良く歩けます」「木々の間を歩くのはストレス解消によく、これからも季節毎に訪れて野草を楽しみたい」と話していた。開園時間は9時から16時30分(入園は16時まで)月曜・祝日の翌日は休館。入園は無料。問い合わせは225・2900番。

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火災の恐ろしさを知ってと防災教室 森の里幼稚園

 3月1日から7日まで、全国的に行われた春季火災予防運動期間の初日、厚木市消防本部の職員9名が、同市森の里の森の里幼稚園(安藤公子園長・園児数120人)を訪れ、防火教室を開いた。園児に正しい火の取扱いと火の恐ろしさを知ってもらおうと開いたもので、全園児と10人の職員が参加した=写真。
 園児たちは防火を促すビデオを見た後、消防音楽隊の器楽演奏を聞いたり、季節にちなんだ「うれしいひなまつり」の歌を消防職員の伴奏で合唱した。
 この後、園児たちは順番に銀色の防火服を着用し、ミニ消防車に乗車して園庭を楽しそうに回った。消化訓練では、幼稚園の職員が水入り消化器を使って訓練、園児たちも電気式で消化器の取扱いを体験できる装置を使い、楽しみながら学んでいた。安藤園長は「専門の方に
来てもらって訓練を受けることは大変有意義で職員も勉強になった。園児の思い出作りにもなったと思う。今後もこうした教室を開いて園児の安全教育に役立てたい」と話していた。

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消防団と消防署が連携して防災訓練  甘露苑で

 消防団と消防署が地域での連携強化を目指そうと、厚木市消防団第2分団(依知地区・真田辰雄分団長)と同市北消防署依知分署(井上忠博分署長)が2月25日、同市山際の特別養護老人ホーム甘露苑(甘利広子理事長)で、施設職員らと合同の防火訓練を行った。
 消防団員95人をはじめ、消防職員、施設職員ら総勢120人が参加して、避難誘導や応急手当、消火・放水訓練などに取り組んだ。
 訓練は午前9時ごろ、震度6強の地震発生で建物から火災が発生したとの想定で始まった。施設職員による消防署への通報訓練や、団員が入所者に扮し避難誘導訓練を行ったほか、消防団員や施設職員が救急隊員の指導を受けながら、けが人の救急搬送や応急手当の訓練を行った=写真。

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厚木宿の遺跡など厚木の「低地遺跡展」開かれる

 厚木市旭町の勤労福祉センターで、3月3日から11日まで「厚木の低地遺跡展」が開かれた。市街地再開発事業に伴い、幕末頃の旧高部家の土蔵跡など厚木宿(あつぎしゅく)の跡が発見された東町二番遺跡・東町遺跡、古墳時代中期の竪穴式住居跡が発見された旭町の川田前(かわだまえ)遺跡、東名高速道路改築事業に伴い中・近世の建物跡などが発掘された城際(じょうぎわ)遺跡、恩名大井遺跡から出土した遺物約700点を展示したほか、発掘の様子が分かるパネル写真などを展示した。
 かつて厚木の中心であった厚木宿の遺跡からは、生活に使われた皿や茶碗などが展示され、当時「小江戸」といわれるほど賑やかだった厚木人の暮らしぶりが紹介された。また厚木宿にあった呉服屋・高部家で使用されていた磁器製の便器も展示、藍色の染め付けでボタンが
描かれている豪華な便器から、豪商といわれた同家の繁栄ぶりを伺うことができた。 
 このほか、調査成果の速報として昨年夏に発掘調査が行われた小野公所遺跡第三地点の出土品も披露され、市内で初めて出土した古墳時代の馬具の一部である辻金具は、金メッキが施された極めて貴重なもので、見物者の注目を集めていた。

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