言葉と精神の離乳食★わらべうた

大熊進子

NO.7

 お釈迦様と甘茶

甘茶(アマチャ)ユキノシタ科
  「お正月くるくる 2月は初午 3月はひなまつり 4月はお釈迦様 5月はお節句 6月あやめ 7月七夕 8月お盆様 9月はお祭り 10月おやすみ 霜月師走瓢箪福部 小間物 いっかんしょ」。
 この歌は一年中の行事を歌いこんだものです。4月はお釈迦様の月です。天上天下唯我独尊。可愛いお釈迦様が天を指差していらっしゃる像に甘茶を掛け、ついでにちょっとご相伴に預かるのです。私は幼児期から10歳くらいまで、毎年甘茶を味わっていましたが、喜んでお代わりすると言うものではなく、ホンのお付き合い程度です。でもそのお陰でその味は今でも忘れないことをありがたく思っています。
 結婚するまで住んでいた杉並の観泉寺というお寺の花祭りで、お稚児さん行列についていって、お寺でお釈迦様に甘茶を掛け、そのあと一杯頂くというのが常でした。荻窪八幡様や井草八幡様の前を通るときに、お辞儀をする子供も多かったものです。
 私たちの中には神社とお寺が雑居していて、まだ教会はありませんでした。クリスマスイブは「キリストさんの誕生日の前日」くらいの理解で、今の幼児のように「12月はサンタさんが良い子にプレゼントを持ってくる日」というのはどうかなあと思います。常識としての宗教をどこかでしっかり教えないといけません。これは伝えるとか見守るとかではなく、教えることです。
 祖母のあとから浅草の観音様に付いて行き、地獄絵を見てうなされ夜中に泣くと、母が電気をつけて「どうしたの?」と聞く。「地獄の閻魔様のこわ〜い夢を見た」といったら「あんた、馬鹿ね、そんなことあるわけないじゃない」といって母は電気を消して寝てしまいました。私の幼少のみぎりには、大人は本だの人様の考えに左右されず、先祖伝来の教育方法が身に付いていて、母はその母に「子供が脅えますからお寺さんに連れて行ったり、怖い話をしないでください!」とは言いませんでした。大抵何処の家にも神棚と仏壇があって、毎日大人が手をあわせていました
 「いただきます」を言うときは、今でも時折箸を押し頂き手を合わせる子供もいますが、他にはあまり見られません。年寄りの独り言のようなものですが、だからこそ「4月はお釈迦様」を頭の中に缶詰にしておかなければと思うのです。
 先日「甘茶」を買ってきて、子供たちと甘茶を飲み、お釈迦様についてお話しました。「今から2500年くらい前に、インドでゴーダマ・シッダルダという男の子が誕生しました。成人して偉い人になり、今あるお寺さんはみんなその人の教えを広めています。その人はお釈迦様といわれ、お生まれになったとき、天から甘い雨が降ったのでいつの頃からか、お釈迦様のお誕生日である4月8日を「花祭り」として甘茶を飲むことになっています。
 今日は私が皆さんにご馳走しましょう」といって子供たちにお茶の準備をさせ、ご馳走しました。みんな神妙な顔で甘茶を味わいました。だれも「まずい!」とは言いません。「もう結構です」といってお茶碗を置いた子が2〜3人。
 この「もう結構です」には参りました。要するに彼らにはあまりおいしいとは感じられなかったんだと思います。でも「もう結構です」という言い方を知ったということに微笑を感じました。あとの子達は「お代わりありますか?」といって結構飲んでいました。まだお湯をさす前のお茶の葉の香りを嗅ぎ、味わって「ホント、アマイアメノアジガスル」「甘くておいしい」などと感想を言い合いながら、小さい子供たちがお茶を飲んでいるのはとても可愛い姿でした。

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