言葉と精神の離乳食★わらべうた

大熊進子

NO.4

 童謡とわらべうた

雪の結晶
 このごろは「梅の小枝でうぐいすが 春が来たよと歌います、ホ、ホ、ホケキョ ホーホケキヨ〜」と歌いたくなります。これは童謡ですが、私にとっては梅、鶯と来ればこの歌がまず出てきます。もちろん、「うぐいすの〜たにわたり」 とか、「うめと さくらとするもん このゆびたかれ」などというわらべうたも知っています。「童謡」と書いても「わらべうた」と読めます。 ドウヨウとわらべうたの違いは何処にあるのでしょう? 大雑把に言えば、ドウヨウ(童謡)とは明治以降になって子供のために作曲されたもの。わらべうたはふる〜い時代を濾過して残った、作者不明のものとでも言いましょうか。
広辞苑でわらべうたを引けば『子供のうた、または子供に聞かせるうた』とあります。明治、大正の頃はわらべうたと童謡を区別するためにドウヨウを『新童謡』といっていたらしいのです。私は春になると祖母に「梅の小枝で」を聞かされてきたからきっと今でも歌えるのでしょう。
幾つもの保育園、幼稚園でわらべうたを伝えていますが、何処でもたいていは『アッ、わらべ歌の先生だ!』と子供が言います。これは私にとっては耐え切れない状況ですが耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで子供たちと遊んでます。
大体わらべうたとは小さい人間にするために躾を助けたり、遊んでいるうちに昨日まで出来なかったことが突然できるようになったり、子供ながらにムシャクシャした時大声で『馬鹿かば間抜け〜、お前の母さん でべそ!』なんて言って精神安定をはかったり、月や雪、自然現象を素直に愛で、感動したり……。要するに教えることが出来ない、伝えることで成立しているものなのですが、それをねえ、「わらべうたの先生だ!」なんて悲しくなります。それが今の現状であり、幼児教育に関わっている多くの大人たちが「わらべうたを教えてください」といってきます。仕方ないわね、知らない人には教えてあげましょう。でも覚えたら伝えて欲しいものです。
 どうやって伝えるかは個人個人のグループとの関わり方で違いますからマニュアルには出来ません。私は幼児、または子供の中では常にガキ大将、親分、現場監督、番長等々。
 あるときくすぐり遊びをチビちゃんが私にも「やってあげる」といいました。私は「大人はいいの」といったら後ろにいた2人の子が、「へえ〜、大人だってさ、自分のこと大人だと思ってるらしいよ」というのが聞こえました。成功、成功、彼らは私を大人だと思ってない。
冬の間、子供たちと「紋切り型」という切り紙遊びをしました。特に『雪編』をたくさんやりました。中谷宇吉郎博士が『雪は空からの手紙です』といわれたように、折り紙を三つ折にして指定通り切り落とし、慎重に開いたあとに現れてくる数々の雪の結晶に息をのみ、歓声を上げました。美しさはもとより、細かい部分を辛抱して丹念に注意深く切った結果、現れてくる美に対しての満足感も多大にあったようです。
 紙を切り細裂くという行為が、いったい子供たち(私もワクワクしたのです)の何を育てるために有効か? なんて野暮なことを考えない、楽しい時間でした。江戸時代に流行ったのか、その頃までしっかり伝わっていたのかどうかは解りませんが、紋切り型という言葉が気に入りました。  
 まず、何かを知ろうと思ったら徹底的に真似してみる。次に身についた模倣をぶち壊してみる。そこから何かが出てくれば、それが本当の自分の創意というものになるのではないかと思いました。

「わらべうた」websiteの記事・写真の無断転載を禁じます。
Copyright 2005 Shimin-kawaraban.All rights reserved.