言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.2

わらべうたは知恵袋

え・鈴木伸太朗
 お正月も過ぎ、普段の生活に戻りかけてきました。でも未だ頭はお正月気分、だってお正月を歌った歌がいっぱいあるから……。
 お正月 ええもんじゃ ゆ〜きのような ままくって 油のような 酒飲んで 木っ端のような どど食って〜とか、おんしょうしょうしょう 正月は〜 松たって 竹たって 喜ぶものは おこどもしゅう いやがるものは おとしより〜、そして前号で触れた〜てっぽのような へをこいて……などなど。

 これらの歌を歌うと、お正月は混ざりものの無い白いご飯を食べられた、濁酒ではなく清酒を飲んだ、干物でも魚が食べられた。松竹立てて新年を寿いだ、沢山遊べて美味しいものを食べられるから(まさかお年玉を沢山貰えるなんて考えたのかな〜?)子供は大喜び、でも数え年で元旦が来るとまた一つ歳とっちゃうからお年よりはがっくり……。そして女たちがあまり台所に立たなくても良いように山のようなおせち料理、勿論、豆、芋、お餅など腹にたまるものばかりでとうとうテンシキ、それもテッポのような……。こんな景色の中にほろ酔い加減の父さんたちが押し絵の重い羽子板で羽を突き、失敗して顔に墨を塗られている風景、福笑いでうち中が笑い転げている風景、子供も大人も広っぱで顔を真っ赤にして凧を揚げている風景などが見えます。あなたにも見えるでしょう? 
寒いね、アッ、火鉢の火が消えそう、炭を足してフウフウ吹いて手をかざす、みかんの皮でも燃やしてみようか、良いにおい、鉛筆の削りかすはどう?三菱より、コーリンのほうが好きなにおいだ、いやいや三菱のほうがいいよ、などといってると母さんが「お餅焼いて頂戴」といってお餅を持ってくる。僕は三つ、私は七つなどと言いながら家族の分を焦がさぬように焼く。こんな風景がほんの3〜40年前の私たちの当たり前のお正月風景でした。古いものが全て良いわけではありませんが、日本人としての私たちの越し方をしっかり子孫に受け渡さないと、今にこういうことを外人さんから習うことになりかねない。困りますねえ〜。

冬は空気が澄んでいて空の青さも月の美しさも格別です。勿論、秋もですが、私は冬が好きだから、ちょっと独断で失礼します。
月の歌はとても多い。〜
1 お月さん いくつ 
2 じゅうさんななつ 
3 未だとしゃ わかいね 
4 あのこを うんで この子を うんで だ〜れに だかしょ 
5 おまんに だかしょ 
6 おまんは どこいった 
7 あぶらかいに ちゃかいいに あぶらやの えんで 氷が はって すべって こ〜ろんで 油 いっしょう こ〜ぼした 
8 その あぶら ど〜した 
9 たろ〜どんのいぬと じ〜ろ〜どんのいぬが みんなな〜めてしまった 
10 そのいぬ ど〜した 
11 たいこにはってつづみにはって あっちむいちゃどんどこどん こっちむいちゃどんどこどん た〜たきつぶしてし〜〜まった 
12 その太鼓ど〜した 
13 火にく〜べて も〜やした 
14 その灰ど〜した 
15 とんびがさらっていっちゃった〜。
 これは東京のわらべうたですが厚木のとなるとちょっと違います。10のあっちむいちゃどんどこどん こっちむいちゃどんどこどん、この次が違うんですよ、ワクワクしちゃう、ほうぼで芝居が始まった〜〜となるんです。この歌詞からも昔の厚木市の住民の生活が髣髴としませんか?人形劇が盛んだった厚木、いったい何処で人々は人形を作り、上演し、楽しみ伝えていったのでしょうか?
 私がこの歌を知ったのは多分2〜3歳の頃、祖母が歌っていたのをいまだに覚えているのだと思います。私は11まで歌っていました。そしてじゅうさんななつというのは多分二十歳のことだろうなと大分後になって分かりました。祖母も母もそんなことは説明しませんでした。3年生くらいのとき「二十歳の青春」という映画の看板をみて「にじゅうのアオハルって何?」と聞いたら「子供がそんなこと知る必要は無いの!」という母の強い言葉で「あ、こりゃやばいことを聞いたらしい」と分かりました。
太鼓は犬の皮で貼る、三味線は猫の皮で貼るというのもこの歌のお陰で知りました。おばあちゃんの知恵袋、でもわらべうたも知恵袋らしい。だって、ハンガリーの有名な作曲家のバルトークは「たった一曲のわらべうたからその国の歴史が分かることもある」って言ってますから……。私たちにも素晴らしい民族音楽研究家故小泉文夫さんという方がいらっしゃいます。本でしか先祖の姿が垣間見られないようになったら困るなあ〜と思います。”としてください。

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