言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.14

夏の海

え・鈴木伸太朗
 私は1938年に生まれました。寅年(ゴウの寅ではない普通の寅)、天秤座、AB型は確かです。生まれた日については役所の紙切れを信じるしかありません。まあ、誤差が前後一週間くらいはあるにしてもトラ、天秤、ABは確か。
 このくらい生きてきて最近つくづく感じることは、幼児期に培ったことは自然に湧き出てくるということです。自分で努力して覚えたと思ったことは忘れるほうが多いのに、遊んで無意識に身についたことはある日突然思い出すのです。

 前号で書いたほおずきの歌ですが、7月に小さい子どもたちと揉んでいたら突然「あァかいべべ きせて〜 やるから まァわりどォろにな〜れ」と歌っていた自分が現れてきたのです。わらべうたを遊んで育つということは、人生の後半になって退屈しないため、そしてそれを後の世代に受け継がせなさいよという天の声でもあるのかなあとつくづく感じ入ったのでした。

 さて時は夏、アア海に行きたいなあ!と思ったら「海は広いな 大きいな 月が昇るし 日は沈む 海は大波 青い波 揺れてどこまで 続くやら 海にお船を 浮かばせて 行ってみたいな 他所の国」(もとはカタカナです)が浮かんできました。
 わらべうたで海といえば「な〜み な〜み わんわちゃくり ゆ〜ちぬ さ〜ちぬ はな も〜も〜」という沖縄のうたが私は好きです。沖縄の人に聞いても意味は分からないといいましたが、どうやら波打ち際で子どもたちが寄せる波に足をくすぐられ、キャッキャいいながら戯れる歌のようです。私はこの歌を子供たちと歌うとき、レインステイック(チリの民族楽器でサボテンの枝に棘を螺旋状に刺して川砂を入れ上下を閉じてひっくり返しにすると砂が落ちて良い音を出す)やオーシャンドラム(缶をくりぬきプラスチック板を張り、中にビービー弾のようなものを入れ、斜めにすると波の音らしきものを立てる)を使って波の雰囲気を味わうこともあります。
 一列に手をつないで並び、片方の端の二人の間を潜り抜けて歩いたりもしてみます。こうやって遊ぶのが正しいとは思いませんが、海に行ったとき、または回想するときの何らかのインスピレーションの元になればいいなと思うからです。  
 さて私の経験ではくだらないことしか覚えていないことが立証されていますから私の理想どおりに行くかどうかは全くの未知数です。波の音、川のせせらぎ、笹が風に吹かれておしゃべりしてる音、雲がカキ氷に見えたり、アイスクリームに見えた夏、どこまでも続く細道を汗と一緒にひたすら歩いた暑い日々、さっと吹いてくれるそよ風に感謝の一瞬cc。夏の日の思い出をたくさん作りたいですね、幾つになってもcc。
 そういえば確かカボチャの茎をラッパ状に裂いてその上に種を出したほおずきを乗せ、まるで風船みたいな感じで落とさないようにフーフー吹いて遊んだこともありました。
 周りを見回せば自然の贈り物のおもちゃがいっぱいあるのです。それを使うか使わないかはその人しだい。
 そういえば先日シャボン玉遊びをしました。何処かのレストランでついてきた真っ赤なストローがあまりにも綺麗な色だったのでついバッグに入れておいて、それにふと目が行き、洗面所にあった洗剤を湯沸し室にあったお茶のみ茶碗に入れ、水を入れてかき回したら、シャボン玉液の出来上がりです。私がやっていたらチビちゃんたちは垂涎の眼差し。「やりたい?」って聞いたら即「ウン!」。これで遊び成立。幼児のまあ下手なこと! さすが小学生になると中々の腕前! そういう手本を身近に見てチビちゃんたちの進歩の早いこと! お手本が身近にいる人たちは幸せです。 

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