厚木から見た冬の富士

 厚木の長沼付近から見た冬の富士山。富士山・大山を背景に長沼の穀倉地帯が広がる。厚木から見た富士山は手前が大山でその奥に富士山が見えるという構図で、江戸時代の浮世絵師・歌川広重も富士三十六景の中で相模川河畔の葦原から見た富士山を描いている。写真には大山は写っておらず、位置的には稜線のもう少し右側になる。広重の絵は相模川における木材の搬送を描いているが、木材の流送は通常7月〜11月に行われていたが、葦原の状況、筏上での暖などから初冬の風景といわれている。この「さがミ川」は初代広重の遺作となった「富士三十六景」シリーズの1つである。

写真左:歌川広重作「富士三十六景さがみ川」写真右:歌川広重作「不二三十六景相模川」
 写真右 「不二三十六景さがみ相模川」は、嘉永5年に出版された歌川広重の錦絵である。その構図からは明らかに戸田の渡しよりやや上流から大山・富士山を遠望したものである。広重のこのシリーズの1枚には、「相模大山来迎谷」があり、かつ天保期には「相州大山道中戸田川之渡」も描いていることから推察すると、広重は大山を訪れ、道すがら戸田の渡しを通ったのではないかと思わせる。これは写真左の広重が晩年に描いた「富士三十六景さがみ川」の原図となったものとも推察される。(飯田孝『海老名市史7』通史編近世・第4章農村文化の展開・錦絵に画かれた海老名)。この「富士三十六景さがみ川」も海老名市南部の相模川から富士山を遠望した構図で、大山街道戸田の渡し付近から描いた可能性が高いことが指摘されている(瀬尾為明「安蔵広重作「富士三十六景さがみ川」の描写地点について-地学からのアプローチ」(『えびなの歴史8』)。

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