風見鶏

1977(昭和52年).1.1〜1977.12.15

  厚木市のイメージ(1977・8・21)

 8月6、7日、厚木市恒例の「鮎まつり」が行なわれた。初日の夜は相模川で花火大会。夜空に広がる大輪の花に、20万もの観衆は暑さも忘れて、しばし夏の夜を楽しんだ▼厚木市というとまっさきに何を思い起こすか。「相模川」27%。「鮎」15%。「花火大会」12%。市では昨年の6月、市内の小学校六校の生徒およびその父母を対象に、市民意識のアンケート調査を行なった。これは父母が抱いている厚木市のイメージだ▼しかし、居住歴別にみると、6年未満では「相模川」19%。「基地」18%。「花火」12%と、厚木基地の顔が大きく浮かび上がってくる。厚木基地は敗戦後、連合軍最高司令官マッカーサーが進駐した最初の地で、日本人ならパイプ片手にタラップを降りてくるあの写真とともに、厚木基地の名を知らぬ者はいない▼その厚木基地は、実は厚木市にはない。が、名前から判断すると、厚木にあると思うのは当然だ。基地といえば、短絡的な見方かもしれないが、やはり浮かんでくるのは騒音と酒と女のイメージである。とにかく悪いイメージはあっても、いい方にはつながらぬ▼郷土愛はそこに住んでいる人の側からばかりでなく、外から見る者のイメージによっても左右される。評判がよければよいほど、市民の郷土愛は増してくる▼「厚木市に住んでいたい」72%。かなりの人がふるさとに好意的である。この人たちのためにも、基地のイメージを追い払う必要はありはしまいか。

  お年寄りの向学心(1977・9・18)

 老人たちは向学心に燃えている。東京武蔵野市は実施したアンケート調査から、こんな結果が出た。すなわち、老人たちは余暇活動の対象に書道、歴史、経済、哲学、文学といった学問をめざし、向学心に燃えているというのである。これは同市内の65歳以上の老人7,800人を対象に、7月に実施したもので、回答者1,070人のうち400余名が、こうした希望を示したという▼同市でも「意外な結果出た」とビックリ、さっそく11月から大学の講師陣をそろえて、学習講座「シルバー学院」を開講する▼“60の手習い”という言葉がある。先ごろ、横浜市では85歳のおばあちゃん画家が話題になった。68歳から始めて、素人ながら美術展に17回連続入選。これまでに1,000点あまりを描きあげ、老人ホームや福祉施設に寄付してきたという。立派というほかはない。夫が他界したあと「何か心の支えになることを」と始めたそうだ▼厚木市でも、老人クラブ連合会の郷土史研究グループが『厚木郷土誌』を刊行した。B6判250ページにおよぶもので、とても趣味の活動とは思えない力作である。日頃の研究活動の集大成を、後世に残そうという気持ちの現れであるのだ。どちらも、青春にない価値を求めて自主的に行動する老人たちの気持ちが伝わってくるようだ▼民謡や旅行など単なる娯楽中心のボランティアが多い中、老人が自己啓発、つまり心の自立を維持していくための援助や対処の仕方には、今一度再検討が必要に思われてならない。

  厚高新聞(1977・12・4)

 県立厚木高校で出している「厚高新聞」が、県高等学校新聞コンクールで最優秀賞に輝いた。厚木高校はこれまでにも何回となく最優秀賞を獲得しているから、王座の貫祿を十分に示したというべきだろう。厚高は27回のコンクールのうち19回、1位を独占しているのだ。今や高校新聞の超一流紙と形容されている▼学校新聞の場合、問題になるのが、紙面づくりの内容である。厚高には厚高の新聞づくりの伝統があるだろう。しかし、伝統はある面でマンネリ化を生む。原編集長も「型破りで奇抜な試みはどうしても不安になる」と率直な意見を述べているが、一方で「冒険を恐れては前進もない」という意欲も見せる▼厚高の場合、スタッフが何度も激論をたたかわせ「新しさを求める」というやり方だ。動きのある写真、埋もれた話題、極秘情報のスクープ、紋切り型でないインタビューなど、とかく少女趣味的な学校新聞が多い中で、俄然、異彩を放っている。しかし、それは伝統高い厚高新聞の精神に少しも逆行するものではない▼「新しさ」は単にニュースが新鮮だとか、企画が優れているということだけで表れてくるものではない。むしろそれは編集者の視点の置き方にある。厚高新聞は学校を単位とした生徒や先生の日常生活を、生きた生の声でプレスするという新聞本来の視点をがっちりと土台にすえているのである。実はそれが、厚高新聞の伝統と精神でもあるのだ。

(※「厚木市のイメージ」の執筆は矢吹富貴子です)

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