★★★★風見鶏

2009年1月1日〜12月15日

 将来都市像の文言(2009・1・1)

 厚木市は09年度からスタートする新総合計画「元気プラン」の将来都市像を「元気あふれる創造性豊かな協働・交流都市あつぎ」と定めた。この文言から市民は具体的にどのような将来像をイメージするだろうか▼将来都市像の文言は「元気あふれる」「創造性豊かな」「協働・交流都市」の3つからなっている。簡単に言えば、「明るく元気に、魅力あるまちを創造し、市民と協働してひと・もの・文化が交流する賑わいのあるまちをつくる」ということだろう▼07年度に行った厚木市の市民意識調査で「将来どのようなまちになってほしいですか」の問いに、61・3%の人が「自然環境の豊かな都市」をあげている。厚木市民は市民憲章にうたわれている「大山を仰ぎ相模川にのぞむ郷土」を体感していると言ってもよい▼まちづくりには目標と手法という2つのカテゴリーがある。目標に向かって進めるべき方法論が手法で、目標なのか手法なのかよく分からなかったり、目標と手法が混同していては戸惑うばかりだ▼98年に策定されたあつぎハートプランの将来都市像は「私もつくる心輝く躍動のまちあつぎ」だった。これは抽象的で何となく分かったような分からないような、イメージの湧きにくい言葉である▼今回はどうだろうか。市民意識と元気プランに乖離があっては困るが、総合計画の将来都市像は、期待感と具体的イメージが迫ってくるものでなければ市民の心を動かさない。言葉は大切なのである。

 自分たちの分を先に取るな(2009・1・15)

 景気低迷で自治体の財源不足が危機的状況に陥っている。神奈川県は09年度2000億円の財源不足が見込まれており、松沢知事は今年4月から2年間、知事の月額報酬を20%、副知事ら特別職7人の報酬を10〜15%カットする▼これを受けて県議会も4月から2年間期末手当をカットする方針を決めた。県議の期末手当カットは98年度から03年度までの間、最大30%の削減幅で行われたことがある。また、県職員の給与も4月から削減する方向で職員組合側と交渉を進めている▼厚木市も法人市民税の減収などで財源不足は09年度約60億円に達する。小林市長は「事業仕分けや外部評価にもとづいて行革を進め、全事業をゼロベースから見直すなど徹底して経費の節減に取り組む」考えを明らかにした▼同市長は痛みを分かち合うため、市長、副市長、教育長の給与削減を表明したが、実のところ特別職の削減額は3人合わせても僅かな数字にしかならない。気になるのは一般公務員の給与や議員報酬である。職員には過剰な残業手当や休日手当が支給されていないだろうか。矢祭町のように議員報酬も月額制から日当制を導入する時代になった。議員報酬のあり方も検討すべきなのである▼給与ベースをどこに置くか検討の余地はあるが、公務員の給与を税収の増減に応じて自動的にスライドする仕組みを作ってはどうかと思う。公務員は常に全体の奉仕者で、税金から給与をいただいている。税金の多寡に応じて給与を決めるという方法だ▼厚木市は今年も退職者の再任用が60人を越えるという。税金をどう使うのか。相も変わらず自分たちの取り分を先に確保している。

 公務員の制度改革を(2009・2・1)

 先日「風見鶏」を読んだ自治会長からお手紙をいただいた。「民間が血のにじむようなリストラをやっているというのに、公務員の給与はそのままどころか驚くほどの再任用の数、そして議員報酬の削減にまったく無頓着な議会など、公務員や議員は信頼できない」▼確かにそのとおりであろう。派遣切りで仕事も住む家もないという人々が大勢いるというのに、退職公務員だけは天下り先を用意され、再任用されていくのが、現在の日本の実状だ▼しかもこうした公務員には尸位素餐、不作為の罪を大量生産する体質がある。会議をしても出来な言い訳だけを並べ立て、市のトップには自分たちに都合のいい報告しか上げない。おまけにセクト主義が強いから越権行為はご法度だ▼上部自治体との関係になると、これは県の仕事、市は関係ないという考え方が事業の執行を遅らせ、いつまでたっても政策のすり合わせすら行われない▼さらに公務員は退職までの任期1年ともなると消化勤務になる人が多い。この間、再任用先を求めて水面下での綱引きや交渉が行われる。部下はこうした上司を何十年も見て育ち、公務員体質を身につけていく。そうした組織がお役所なのである▼市長が交代したからといって、職員が市長の思うとおりに動かないということは当然なのである。分権の受け皿として能力を磨き改革を実行できる公僕をいかに育てていくか。公務員は法律によって守られ過ぎている。制度を変えないと改革は進まない。

 議員は報酬に見合った仕事を(2009・2・15)

 土地家屋調査士の金井猛さんが行った監査請求の趣旨は議会の本質を鋭くついている。その1つは厚木市の議員は年額938万円もの報酬を得ているにもかかわらずそれに見合った仕事をしていない。よって議会の開会日数を倍増せよというものである▼議会とは議員と理事者が真剣勝負で討論し政策を形成していく場であろう。だとするなら市が打ち出した総合計画案に対抗して、独自の対案をつくるぐらいの議会であってほしいのだ。それには現在の定例会では討論の時間があまりにも少なすぎる▼一般質問のほか参考人制度や公聴会制度の導入、請願・陳情者の意見を聞く住民参加の制度、議会活動を住民に報告し意見を求める「議会報告会」の開催、政策テーマごとの委員会の設置などを考えると、議会の定例会が年4回では足りない▼議会の一般質問も事前通告制で、理事者側は議員とすり合わせた上で答弁を用意、丁々発止のやりとりもないまま淡々と議事が進められている。前鳥取県知事の片山善博さんは「ほとんどの地方議会は八百長だ」と指摘している▼昨年12月、神奈川県議会が「議会基本条例案」を可決した。地方分権にふさわしい議会のあり方を定めたもので、同様な条例は全国31の自治体で制定されている。その中には首長が議員に逆質問する「反問権」も盛り込まれた。議員はいつも理事者に質問する側だが、今度は理事者が議員に質問できるのである▼議会改革を進め、緊張感のある議会、開かれた議会、住民に説明責任を果たす議会、政策立案する議会となるためにも、定例会を増やし報酬に見合った仕事をという金井さんの指摘には賛成だ。

 市と県の協働化(2009・3・1)

 厚木市の「県道藤沢厚木線」の寿町通りは、道幅が拡幅されず歩車道の分離のない状態が続いている。この道路は中心市街地の中で唯一整備されていない県道で、10年以上にわたって地元要望が出ていたにもかかわらず、なかなか整備が進まない▼昨年、地元自治会と商店街による「寿町通り街路整備推協議会」が発足、街路整備に向けた気運が高まってきた。同地区が厚木市の防火地域および防災まちづくり推進地域であることから、街路全体としてとらえ県道改良を推進しようという考えだ。整備に向けた手法としては有効で極めて検討に値する▼これを厚木市は余計なことと思ってはいないだろうか。県道は県の仕事だから、県にやってもらえばいいという他力本願だけでは進まないのが現実である。県の仕事であっても、市の意思や考えを明確に打ち出し、協力関係を模索するのが市としての責任でもあろう▼確かに県道藤沢厚木線寿町通りの整備は、道路だけ広げればいいというレベルの話ではない。道路を挟んだ東西は狭い路地が縦横に走り、消防車両の進入をはばんでいる。道路の拡幅にはそうした課題を含んだまちづくりの手法が必要でもあろう。市と県の協働化をいかに高めるか。セーフコミュニティの認証取得を目指す市の積極的な関与が望まれる。

 目指す方向は地域内分権(2009・3・15)

 地方分権は自治体の自己決定権を大幅に拡大する改革である。国と県、市町村の関係を集権的から分権的関係、さらには末端の住民組織にまで地方側の自己決定権を相対的に大きくする改革である▼これは手段であり、決して目的ではない。改革を通じて地域で多様な公共財やサービスを提供し、地域づくりを進めることが目的なのである。従来のようにこれは国、県、市町村のやる分野、これは陳情でいいなどと治外法権を主張している時代ではない▼国も県も市町村の意思を無視して事業を進めることができなくなった。市町村の権限外であったとしても、これまでのように国や県の指示や通達を待っていれば良いという時代ではなくなったのである。まず自治体自身が自ら考え実施し、責任を負う体制づくりが行われなければならない▼分権化はある種「格差」を生む改革である。人口減少や産業基盤が弱い自治体であっても、さまざまなアイディアを出し、改革に取り組んでいる自治体がいま注目を集めている▼そうした自治体に共通しているのが、首長がマニフェストを掲げて先頭に立ち、職員が政策官庁としての自治体づくりを目指していること、議会もこれまでのチェック型議会ではなく、立法議会を目指しているという姿である。特に職員は公務員を終身職と考えず、報酬は身分に対して支払われるのではなく、仕事の成果、業績に対して払われるという民間と同様な意識を持っていることである▼そして地方分権は住民にとって、お任せ民主主義ではない住民主権型の「地域内分権」を確立することにある。住民自身の意識改革もまた必要なのである。

 受動喫煙は犯罪だ(2009・4・1)

 全国で初めて民間施設を含み屋内喫煙を規制する神奈川県の「公共的施設受動喫煙防止条例」が3月24日、県議会で成立した▼学校などでの違反に対する罰則は2010年4月から適用、飲食店などは11年からに延期されるなど当初の「全面禁煙」からは内容が後退したが、屋内での喫煙を規制する条例の制定は全国で初めてだ▼日本には施設管理者に受動喫煙防止の努力義務を課す健康増進法しかない。イギリスやイタリアなどは罰則付きで全国的に禁煙、アメリカも37州で飲食店での喫煙を禁止している。 日本で規制が進まないのは、商売に影響する規制が難しいことと、欧米に比べ病気予防意識が低く、喫煙が他人の健康に影響を与えるとの認識が低いからである▼ 受動喫煙の被害は、煙を吸い込んで気分が悪くなる、髪の毛や衣服にも煙草の臭いがつく。ひどい場合は目眩や頭痛、吐き気がして立ってさえいられなくなるほどだ。受動喫煙がガンの罹患率にも影響を及ぼしていることを考えると、公衆の前での喫煙はまさに犯罪行為とさえ言えるだろう▼厚木市が取り組んでいるセーフコミュニティとは「地域の誰もがいつまでも健康で幸せに暮らせるまち」を創ろうという取組みだ。事故や犯罪防止だけでなく、受動喫煙防止をどう位置づけるかも課題の1つである。

 市街化ばかりが街づくりではない(2009・4・15)

 厚木市の山際、関口に広大な調整区域が広がっている。これをどう活用するかは依知地区ばかりでなく、厚木市の将来を大きく左右することにもなるため、市民の大きな関心事の1つである▼土地利用に関しては、県は昭和45年以来5回の線引き見直しを実施している。今年6回目を行うが、少子化と人口減少社会を考えると、将来、この地区の調整を解除して市街化にするのがいいのかどうか、地元の意向はまだ固まっていない▼相模縦貫道路や246バイパスとのアクセスを考えると、市街化だけが地域再生の道ではないようにも思える。昨今、市民に憩いと安らぎを提供する市民農園やエコ農園、クライン・ガルテンといわれる滞在・宿泊型市民農園が注目されている。農業担い手の確保や地産地消、安全な農産物の提供と遊休地の活用、直売所との連携にもつながるため、こうした活用を望む市民は多い▼これはスローライフを求める都市の住民に来ていただいて地域を再生するという考えだ。食と体験、宿泊などの組み合わせをいかにするか。農家民宿や農家レストランなどがあっても楽しいし、里山や河川と連携し、田舎をまるごと産業にしてしまおうという大胆な発想があってもいいのだ▼グリーンツーリズムを基本としたスローライフの地域をつくろうという試みは、まさに持続可能な地域、社会を作る上での一里塚である。厚木市生き残り戦略の1つにもなるだろう。市街化と逆の発想は、地域の再生につながるのである。各地でこうした動きが出てくることを期待したい。

 マスク・うがい・手洗いが基本(2009・5・1)

 昨年秋、米国発の金融危機が世界中に大きな打撃を与え、その後遺症や対策にまだ明け暮れているという中、今度はメキシコで新型といわれる「豚インフルエンザ」が発生した▼WHOが警戒水準を「3」から「4」に引き上げるなど、大流行に備え、政府や県下の自治体でも次々と対策本部を立ち上げている。新型が大流行すると死者ばかりでなく、貿易や海外旅行の減少、イベントの停止、テーマパークや学級閉鎖、集会の自粛、株価などにも影響を及ぼし、経済規模が一段と縮小する恐れがある▼金融危機は個人のレベルでは太刀打できないが、新型インフルエンザは個人のレベルで防衛することが可能だ。情報に注意して海外旅行や長期旅行を自粛し、雑踏の中や繁華街には不必要に行かないこと。外出時はマスクをかけ、手洗いやうがいを励行するなどである▼筆者は今年の冬、インフルエンザ対策として外出時はマスクの着用、帰宅時は手洗いとうがいの励行、室内の加湿器を1日も欠かさなかった。ワクチンは接種しなかったが、お陰さまでこの冬は風邪やインフルエンザにかかることがなかった。20年間でこんなことは初めてであった▼そろそろ止めようと思った矢先の豚インフルである。マスク、手洗い、うがいは続行することにした。

 B級ですよ(2009・5・15)

 豚の管状の大腸をボイルしないで生のまま味噌だれに漬け込み、網を使ってじっくり焼き上げるとコロコロになる「厚木シロコロホルモン」▼このシロコロが各地のイベントやB1グランプリでメディアに登場してからというもの一躍有名になった。地元の厚木食肉センターで処理される生大腸のみを使う、午前中に処理したホルモンを手作業で時間をかけてていねいに水洗いする、そして特性の味噌だれが美味しさの秘訣だという▼市内にはシロコロホルモンを食べさせる店が50軒以上あるというが、本当にそうなのか。街中を歩くと意外にその数が少ないことに気づく。横浜から2回も食べに訪れたという知人は、「たくさん店が並んでいるのかと思ったが、期待外れだった」と話してくれた▼厚木の街中や観光地で気軽にシロコロが食べられるというのが「食による街おこし」だ。味付けされたパック製品も売っているので、家庭の食事やバーベキューでも楽しめるが、「店を多くして、昼でも食べれるようにしないと」街おこしにならないだろう▼一方では「なんでシロコロなの」「厚木はシロコロしかないんですか」という声も聞こえる。もちろん、美味しいものは他にもたくさんあるので、大いに宣伝してほしいが、そんなに目くじらを立てなくても「B級ですよ」というのが答えである。連休に行われた「神奈川フードバトルin厚木」にも大勢の来場者が押し寄せ、B級グルメの関心の高さを裏づけた▼来年度のB-1グランプリの開催地が厚木に決まった。小林市長も全市をあげて取り組みたいと張り切っている。街づくりがB級になっては困るが、どういうわけか、いま「B級が元気」なのだ。

 行政訴訟にこそ裁判員制度を(2009・6・1)

 5月21日から裁判員制度が始まった。司法の世界が市民に開かれることを期待する人、自らが裁く立場に置かれるため、量刑判断に携わることにしりごみする人など様々だが、この制度は普通の市民が裁判に参加し、生活者の視点で司法に携わるという点に大きな意義がある▼だがこの裁判員制度には偏りがある。それはこの「裁判員制度がなぜ刑事裁判に限るのか」という疑問である。裁判には刑事、民事、行政訴訟があるが、今回の裁判員制度では民事訴訟や行政訴訟はその対象から外された▼行政訴訟は公害や薬害、環境破壊、人権侵害、法令の運用や行政執行などが争点になるが、これまでの行政訴訟の判決をみると、行政寄りで市民感覚からかけ離れた論理が目立つ▼疑問があっても議会の同意を得ている、すでに事業が執行済みであるなどという理由で、市民の申し立てが通らないケースが圧倒的に多いのである。憲法問題にいたっては判断を避け、出来るだけ踏み込まないようにしているのが実状だ▼こうした点を考えると、刑事事件の量刑判断より、行政訴訟の判断にこそ市民感覚や生活者の視点が求められてしかるべきだろう。裁判員制度を行政、立法もチェックできるようにしていかないと、真の司法改革にはつながらない。

 市役所が楽をする市民協働では困る(2009・6・15)

 厚木市が市民協働事業提案制度を導入する。役所がやっていない新分野の公的サービスが対象となり、今年度市民活動団体から提案を受付、次年度から事業を実施する▼県内8市でこうした制度に取り組んでいるというが、市民と行政の協働化といっても、所詮は、自分たちが守ってきた公務員の仕事の分野をそっくり残して、小手先だけで新たな施策やサービスを住民に委託するという程度に過ぎない▼「市役所から住民へ」という地域内分権は、公務員を減らすという行政改革と表裏一体となったものでなければならない。これは文字通り小さな政府を意味している。即ち地域内分権というのは公的サービスを小さくして市場に任せることを意味するのではなく、これまで役所がやってきた住民サービスを、地域住民や市民組織、NPO、民間に委ねることによって公務員の数を減らしていくことにある▼「市民協働事業」「市民と行政の協働化」というと確かに聞こえはいい。だが、その言葉には公務員の身分と仕事という「本丸」をそのままにしておいて、住民に新たな創意と協力を求めるという発想が見え隠れしている▼地方自治は税金を公務員のゆりかごから墓場まで使うことを保障しているわけではないし、公的サービスの仕事を公務員だけに任せているわけでもない。住民に代わって、仕事をお願いしているだけなのである▼地域内分権の実践は「市民と行政の協働化」というより、「市民の行政化」というのが本筋だろう。市民はもっと大胆な分権を期待しているのである。

 非常勤が常勤より高いのは良くない(2009・7・1)

 土地家屋調査士の金井猛さんが「厚木市議の高額報酬は、社会通念上妥当性を欠いており、民法90条の公序良俗に違反している」として、6月26日横浜地裁に住民訴訟を起こした▼訴訟によると、平成20年度の厚木市議1人の年間報酬額は966万円である。ところが、議会の開催日は年間39日しかない。月に換算すると3・25日の就労で年収966万円を得ているのである。日当に換算すると1日約25万円(給与と期末手当のみでも20万円)。これは社会通念上著しく妥当性を欠いた冗費(無駄使い)支出であると指摘している▼合併しない宣言で有名になった矢祭町は、02年7月に議員定数を18から10に減らし、08年3月から議員報酬を日当制(1日3万円)にした。議員の報酬額は3分の1に減少、町長、助役、教育長の給与も総務課長と同額にした▼当時、町長の根本良一さんは「どう考えても総務課長以上には仕事をしていない」と話していたが、これは議員にもあてはまる。日当制だと職業のある人しか議員になれない、民間と同レベルの待遇は必要という話も聞くが、日当25万円という報酬は民間ではありえない話だ。しかも議員には兼職が認められている▼根本さんは「非常勤が常勤より高いのはよくない」と指摘しているが、これは誰が聞いても「まともな論理」だろう。

 血管の取り替えだけではもたない(2009・7・15)

 日本の政権を維持してきた自民党は、長い間動脈硬化を起こしていて、国民は虚血性狭心症にさらされている▼これまで党首交代や自公連立などで、血管を膨らませたりステントで補強するカテーテル治療でもたせてきたが、内科的治療が限界に達すると、今度は手足や胸の血管を切り取って心臓につなぐというバイパス手術を行い延命をはかってきた▼バイパス手術に使われる血管は一般的に静脈が多いのだが、05年「郵政民営化」などというとびきり元気な動脈を移植して血流の流れを良くする手術に成功、心筋梗塞の危機を脱したことは記憶に新しい▼だがその後が良くなかった。官僚政治と癒着した自民党は、その後もたびたび動脈硬化を起こして心不全の危機にされされたが、治療の判断を国民に仰がないで次々と血管を取り替えてしまった。インフォームドコンセントの無視である▼しかもこの血管が不良品だったため、心臓が肥大化して手術不能に陥ってしまった。もはや心臓そのものを取り替える臓器移植という方法しか残されていない。だが案ずることなかれ。臓器移植法改正案が衆院を通過したのである▼臓器移植は大きなリスクをともなうが、国民は日本の政治をドラスチックに変えるという勇気でこのリスクを克服するだろう。日本の政治が新しい心臓で動き出す日が近いのである。

 自民党と民主党のマニフェスト(2009・8・1)

 総選挙を控えた自民党と民主党の「子育て支援策」を競う中身が出そろった▲民主党のマニフェストは、中学生まで一人月額2万6千円を支給する「子ども手当」と公立高校の授業料無償化。私立高校生にも年12万円から24万円を助成。大学生、専門学校生の希望者全員が受給できる奨学金制度の創設、出産時に55万円の一時金支給などを掲げる▼自民党のマニフェストは、3年間で3〜5歳児に対する幼児教育を無償化するほか、成績優秀で保護者の所得が低い人を対象に、高校・大学の給付型奨学金制度の創設などを盛り込んでいる▼民主党の子育て支援策に必要な財源は年間6兆円、自民党は約8千億円だ。自民党は民主党のマニフェストを「ばらまき」と批判するが、かつて自民党がとってきた道路や橋などの公共工事が「ばらまき」の最たる例だと批判されたことを考えると、同じばらまきでも民主党の方がはるかに国民生活に密着している▼民主党は行政改革で9兆円の無駄の削減を主張、自民党には消費増税論に触れても、具体的な無駄の削減策はない。鳩山代表はマニフェストが実現しなければ「責任を取る」と言うが、麻生首相からはそうした言葉は聞こえてこない。具体的な政策、実施期限、数値目標、責任の取り方まで明らかにするのがマニフェストだろう。

 政権交代選挙(2009・8・15)

 衆議院の総選挙が18日公示、30日投票で行われる。今回は政権選択のマニフェスト選挙だ。世界同時不況、雇用・生活不安、格差社会の進行などによって政策に抽象的な文言だけを並べる政党に、有権者は反応しなくなった▼今後の日本を託す総理に誰がふさわしいかも投票行動を左右する大きな要素だ。嘘をつかないか、ぶれないか、信用できるかはもちろん、日本をどういう国にしようとしているのか、その将来像も判断材料にしなければならない▲厚木を含む16区は、古くから自民党の牙城といわれている。今回も自民の前職亀井善太郎氏と民主の新人・後藤祐一氏の対決だが、前回の補選と違って様相がかなり変化してきている▼亀井氏は自民党に対する逆風、世襲批判の中での厳しい選挙。官僚依存で古い体質から抜け出せないでいる自民党内でどこまで改革派をアピールできるか。後藤氏は補選に落選後、「ムダ全廃」を掲げ、選挙区でどぶ板作戦を展開してきた。母校である厚木高校OBの支援体制も堅く、官僚出身を感じさせない人柄で、保守地盤にも相当食い込んでいる▼「勝っても負けても数千票の差」といわれるだけに、両陣営とも選挙区で当選をと必死だ。選挙区は候補者の人物像も加味して判断したいが、16区は文字通り「政権交代か否か」を占う試金石の選挙区となろう。

 マニフェストの実現度チェック(2009・9・1)

 今回の衆院選ほどマニフェスト(政権公約)が、大きくクローズアップされた選挙はなかった▼マニフェストはこれまでのようにお題目や聞こえのいい言葉だけでは、有権者を騙せなくなった。中身について厳しい点数をつけられるからである。今後政権与党が行うべきことは、マニフェストの進み具合を、逐次有権者に説明することであろう▲子育て、医療、介護、雇用、年金、景気、さらには地方分権などの政策実現度を、機会あるごとに数値で示して総括し、次の選挙で有権者の判断を仰がなければならない。もちろん、予算の使われ方や財政診断も必要で、借金の増減も採点の基準になる▼公約の実現度が高ければ合格、低ければ不合格という烙印を押されよう。つまり落第点や公約違反は政権から退場させられるのである。野党もマニフェストを、国会論戦の場でどの程度アプローチできたかを検証し、有権者に説明すべきであろう▼とかく甘くなりがちなのが政党の自己採点だ。それだけにマスコミや専門家の役割は重要で、第3者的な眼でしっかりとマニフェストをチェックする必要がある。。そのためにも有権者は、自分が投票した政党や候補者の行動を逐次監視していくことが大事だ▼政治は政権交代が当たり前の時代に突入している。「駄目ならまた代えればいい」。日本にマニフェスト選挙を定着させるもさせないのも、有権者次第なのである。

 市役所から住民へ(2009・9・15)

 民主党政権の大きな目玉の1つは「脱・官僚依存」である。官僚依存を打破して無駄を排し、政治主導で政策の優先順位や予算編成を行い、将来の国の形や仕組みを変えることである▼だがこの「脱・官僚依存」についての議論は、地方にまではなかなか及んで来ない。地方分権は、地方の自主財源を大幅に増やし、権限を大幅に移譲することだが、この論議に欠けているのが「市役所から住民へ」という、役所改革を含めた地域内分権だ▼これまで役所がやってきた住民サービスを、地域住民や市民組織、NPO、民間などにどのように移譲するのかという考えである。厚木市が進めている「市民協働」は、行政運営に市民参加を促すものではあるが、役人が退場するという考えは乏しい▼この流れの中にあるのが「議会を住民へ」という議会改革である。参考人制度や公聴会制度、請願・陳情者の意見を聞く住民参加の導入、自治会長ら市民と対話して意見を聞く「議会報告会」を開くなど説明責任を果たすことも必要だ▼地域内分権とは、行政サービスや税金の使い方を住民自らが考え、役人に代わって執行・管理、雇用を創出することであろう。つまり、サービスを削らないで小さな役所を作ることにある▼地方分権で一番遅れているのが、公務員と議会改革である。政権交代のうねりを地方分権改革にまで高めなければならない。

 人間は虚空から来て虚空に帰る(2009・10・1)

 最近、50代の知人が相次いで亡くなった。同世代なのでとても他人事とは思えず、寂しくてやりきれない時がある。人間はいつかは死ぬのだが、今を生きている人たちは死は自分とは無縁だと思っているため、人生がいつまでも続くと錯覚している▼人間はたった一人でこの世に生まれてきた。死んでいくときも一人であの世に旅立たなければならない。一人じゃ寂しいからといって一緒に生まれてくれる人もいないし、一緒に死んでくれる人もいない。そう考えると、人間はなんて寂しくて哀しい存在なのだろうかと思う▼だから人間は悲しみの大地にどっしりと腰をすえ、希望の木を何本も何本も植えていくのである。小さくても希望の花が咲けば心がときめく。ときめきは生命のエネルギーの爆発で、このエネルギーを押し上げていく試練が、人間に「生の意味」を問うているのである▼医師の帯津良一さんも「人間は虚空から来て虚空に帰る哀しくて寂しい旅人である」と言っている。150億年前にビッグバンが起こって宇宙が生まれ、さまざまな星が誕生した、人間は宇宙から生命のエネルギーを与えられて虚空からこの地球という星に降り立ち、80年ぐらい生き、また虚空へ帰っていくのだという▼その道程は片道150億年というから、六道輪廻で再び地球にやってくる時には、もしかして地球はないかもしれない。死後の世界は果てしないが、150億年も続くと思うと何だか嬉しくなってくる。80年の比ではないのだ。帯津さんは死に直面したらエネルギーをため、躊躇せず一挙に飛び立つのが肝要だという。

 事業評価は道半ば(2009・10・15)

 鳩山内閣の行政刷新会議が無駄遣いを洗い出すため、地方自治体で導入されている「事業の仕分け」を国でも導入するという▼昨今は行革の一環としてどこの自治体でも事業の見直しが行われている。厚木市でも平成19年から事業の仕分け、それに代わる外部評価委員会を導入して、行財政改革に反映させている▼現在、市が行っている事業はおおよそ1200。昨年度は30、今年度は19事業を対象に外部評価を行った。 全ての事業を対象に行うのは難しいだろうが、市民のニーズ、重要度、コスト面など分野別、テーマ別に分けて全てを実施することが必要だ▼問題なのは外部が評価しても役所内部の評価がなかなか見えてこないという点である。役所はまず事業ありきという考えが先行して、優先順位のランクづけが出来ない。廃止と決まっても、サービスを受けている人がいるとすぐには廃止できない▼評価の1つである外部委託は、自分たちの職場がなくなってしまうのではという危機感にある。綿密なコスト計算ができない。予算査定でゼロベースといっても徹底されていないなどまだまだ課題は多い▼さらに外部評価をしてもどのくらい職員の意識改革につながったかという疑問もある。市民や職員に対して、評価委員がどういう視点でどういう評価を下したかという説明も必要だ。事業評価もまだ道半ばと言えよう。

 イベントの単発では心もとない(2009・11・1)
 
 中心市街地の活性化策はどこの自治体でも頭が痛い問題だ。活性化策の有効打となっているのがイベントの開催である。厚木市でも「B級グルメの祭典」や大道芸を中心とした「賑わい爆発フェスティバル」など、これまでとは異なったまちおこしやイベントが注目されている▼だが、イベントは一過性という指摘もある。地元商店街での買い物やサービスを利用する人が固定的に増えないことには活性化には結びつかない。活性化を図るためには中心市街地の雰囲気、交通環境、店舗・品揃えの豊富さとサービス、にぎやかさなど商業施設や商店会全体のイメージアップを図って消費者を誘客する必要があろう▼秋田県鹿角市の花輪新町商店街は毎月1回大きなイベントを開いて、イベントの多さで集客効果を高めている。前橋市では、市営駐車場の利用料金を値下げしたら、イベントの開催時、市民が中心市街地に行く回数と駐車場の利用時間が大幅に増え、市街地を訪れる歩行者は普段の4倍に増えたという▼イベントを活性化のコンセプトにするのなら、行政が音頭をとる大きなイベントも結構だが、小規模で持続性のある商店街独自のイベントや市民の参加型イベントをどう演出し支援していくかも考えなければならない。さらに郊外の大型商業施設の交通環境が優位であることを考えると、前橋市のように中心市街地にある駐車場の利用料金を値下げして、活性化を支援することも必要なのである。

 あきれた定期借地権(2009・11・15)

 契約期限が来た時に契約の更新がなく、建物を取り壊して更地にして返還する必要がある借地権のことを「定期借地権」という▼平成4年8月に施行された新借地借家法にもとづいて、供給側の地主が安心して借地を提供しうる環境を整備し、宅地を供給する目的で法制化された。契約期間は通常50年、またはそれ以上となっている▼厚木市上荻野の古民家「岸邸」は、地主との契約が「定期借地権」契約になっている。借地料は毎年200万円で、50年間で1億円になる。市は50年後に文化財である建物を壊し、更地にして返す契約を結んでいるのである▼文化財はいうまでもなく保護が目的であろう。岸邸は平成11年4月、地主から寄付のあった旧邸宅を、郷土に残された貴重な文化遺産として市民に公開し、保存していくのを目的に開館されたのである▼50年後に文化財を壊して返すという契約になっていたとは知らなかった。今年の8月に開かれた厚木市の外部評価委員会でも委員から「定期借地権付の契約は文化財としてありえない」「不自然な契約で問題」との指摘を受けた▼借地料の200万円も妥当かどうか。市は岸邸運営事業費として毎年1千万円前後を予算化している。利用者は一日平均7・9人というから、費用対効果を考えると運用にも問題があろう。運用面と合わせて契約のあり方自体を再検討する必要がありはしまいか。

 市民のブランド化(2009・12・15)

 各地で地域ブランド」が話題になっている。1つは地域特産品としての地域ブランドだ。伝統工芸品や農水産物などを中心に、その土地特有の伝統や風土に根付いた産物に対して、商標としての保護を与えるものである▼これまでは、地域名称は範囲が特定しにくく商標としてほとんど認められなかった。その結果、各地の特産品は類似品に悩まされてきたが、平成18年4月に「地域団体商標制度」が導入されてからは地域ブランドも知的財産や商標として認められるようになったのである▼ もう一つは地域の個性やイメージとしての地域ブランドである。特産品としてのブランド性を高めていくためには、それを生み出す地方が美しく個性的で、魅力的な暮らしぶりを持ち、話題性に富んでいることが望ましい▼「あのまちの人たちが食べている、使っているものなら」と評価されるまちとしてのブランドである。つまり、特産品の素材としての地域資源と地域性が統一されたイメージとなってはじめて地域ブランドが形成されハ  るのである▼厚木市は市内で製造・販売されている食を「あつぎ食ブランド」として認定し、シティセールスツールとして活用することで、市のイメージアップを図る「あつぎ食ブランド認定事業」をスタートさせる。食ブランドに合わせ、食を楽しむ市民の暮らしやイメージもブランド化するよう努力しようではないか。

2009年賀状