言葉と精神の離乳食★わらべうた    by  文・大熊進子/え・鈴木伸太朗

NO.11

笹の葉さらさら

え・鈴木伸太朗
 私は厚木に大体毎週2回は通います。ほとんど車での移動です。町田から国道16号線を西に少し走り、古淵あたりから新しく出来たオルガノへ出る道を左折し、北里大学病院の前を通って昭和橋を渡り、129号線には出ずに才戸橋を渡り、三田を抜けて厚木へ入ります。
 木があり山が見えて、川があって畑があるのどかな道です。時間があって時々街を歩くと、昔は賑やかだったろうなあと思う商店が随分シャッターを下ろしているのを見かけます。大山をシャットアウトするようにそびえる近代的ビル、ガラスがぎらぎらと夕日を照り返し、信号機のあちこちにソーラや風力発電の新しい開発品が見えます。大型スーパーの進出で、由緒ある個人商店が徐々に消えていくのは寂しい限りです。
 どうしてこういうことが起こったかと考えると、親の仕事を子どもが継がなくなったこと、狭いながらも楽しい我が家、と言う考え方が消えたこと、そして郷土愛が薄れたことなどが浮かびます。
 「あの山を見ながら家族で暮らしたい」「あの川で子どもと魚釣りしたい」「木の声を聞きながら子どもを育てたい」などという、「自分が生まれたところに帰りたい」という気持ちは、都会の学校を出てアスファルトジャングルの中で露と消えてしまったのではないかしら?
 でも、私が才戸橋を渡る頃、数園の送迎バスに出会います。そのバスで通園している園児たちは幸せです。だって厚木の自然を満喫できるのですから……。毎日のバスの中で先生とどんな話をしているのかなと想像します。今なら満々と水をたたえた稲田を見たり、その水田の水を翼で切るように飛ぶツバメの話をしたり、葵の花を見て入梅の見当をつけたり……、バスの窓から見る景色は3〜6歳の子どもが歩いて通うより目線が高いから、歩いているときとは違った景色がみえるはずです。桜も葉が茂り、山々の木々もだんだん緑を深めています。笹が若草色で風に揺れています。道端にずいぶん竹があるのです。
 そろそろ七夕に思いを馳せ、どの竹を切ろうか、どんな飾りにしようか少しずつ考え出す頃かしら? 私の小さいときは、サトイモの葉の朝露を硯に受けて墨をすり、七夕、天の川、ひこぼし、おりひめなどと美しい短冊に書いたものです。どうして天の川とかひこぼし、おりひめと書いたかそれは秘密です。
 笹の葉 さらさら 軒端にゆれる おほしさま きらきら きんぎん 砂子
五色の たんざく わたしがかいた おほしさま きらきら 空から見てる
 これは私が小学生のときに学校で習った歌。
 ささにたんざく たなばたまつり お寺じゃ 子どもの 駒襷(こまだすき)まちじゃ踊りさ おんどとろ ささえ ささえ
 これは今私が子どもたちに伝えている七夕のわらべうた。どちらも綺麗です。何時かラジオで北海道の方が「ささにたんざく……」によく似ている歌を歌ったと話していました。後のほうが違っていて、確か「ろうそく一本おくれ」とかいったらしい。要するに門付けの大人を真似て子どもが祭日にろうそくのみならず、ちょっとしたお菓子などを貰って楽しんだのではないかなと思います。
 そういえばのんびりとした物売りの声も聞こえなくなった。今頃は「きんぎょ〜え、きんぎょ〜」なんて金魚屋さんが天秤棒を担いで金魚を売りに来ました。風鈴も一緒にね。氷屋さんも来ました。なんにも言わないで来たと思う。でものこぎりで氷を切る音がシャッカシャッカって言うからすぐ分かって氷屋さんのリヤカーのところに飛んでってカンナっくずならぬ氷くずを手に貰って涼んだものです。私、前世紀の遺物かもしれない…。

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