今昔あつぎの花街  飯田 孝(厚木市文化財保護審議会委員)
 NO50(2003.02.15)       飯山温泉の芸妓120人に
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昭和58年の飯山桜まつりのチラシ
 昭和50年代末から60年代にかけては、飯山温泉の花柳界が最もはなやいだ時代であった。
 昭和61年(1986)4月1日号の『週刊新潮』の表紙を、同誌表紙の画家として知られた田中正秋作の「あつぎ飯山桜まつり」がかざったのも、観光地飯山を象徴する一つの出来事であった。
 飯山観光組合発足の年、予算わずか8万円で始まった「あつぎ飯山桜まつり」も回を重ね、次第に盛大に行われるようになった。
 昭和58年(1983)4月に行われた「あつぎ飯山桜まつり」では、飯山芸妓衆花見おどりが、4月2日、3日、9日、10日の4日間にわたって行われ、モデル撮影会や白龍太鼓公演、俳句大会、美舟会のおどり、小田原ジュニアマーチングバンド、子どもマンガヒーローショーなどの行事に加え、飯山観音金剛講ご詠歌や稚児行列、厚木市古式消防保存会によるまとい振り込みなど、多彩な催しがあった。
 昭和58年の「あつぎ飯山桜まつり」のチラシに広告が掲載された各店をあげておこう。
 東丹沢グリーンパーク、サンカイ・トラベルサービス、飯山路、松風庵、レストランやまと、桜寿司、清流荘、美登利園、元湯旅館、
 山河荘、ふるさとの宿、大和屋旅館、鮮魚仕出し魚伝、セブンイレブン中飯山店、松乃屋酒店、ガソリンスタンドあざみ商事。
 昭和60年代に入った飯山温泉の花柳界は順調な発展を続ける。昭和62年(1987)5月の調査によれば、飯山温泉花柳界の芸妓総数は120人に達したという(西海利雄「創作その3」)。昭和63年、飯山芸妓置屋組合では、新たに置屋松原と岡田が開業した。
 昭和63年9月6日、飯山芸妓置屋組合では、花柳勝之師匠のもと、おどりの勉強会を開催している。元湯旅館で行われた「63年度勉強会」パンフレットよりその演目を上げておこう。
 番組
 鶴亀、五万石、蓬莱、秋の色種、河太郎、潮来出 島、奴さん、寿三番叟、大漁唄い込み、御所車、梅にも春、春雨、岸の柳、武田節、黒田 節、紅葉の橋、白扇、春は花、夕暮れ、田原坂の美少年、松の緑、ソーラン節、柳の雨、雪椿、荒城の月、紀伊の国、梅の栄、風林火山、天 城越え、おこさ節、上げ汐。 
 また、この時の出演芸妓名は左記の通りであった。
 くるみ、絣、もも、あや、広子、夢菊、千恵、杏、こよみ、千代乃、染香、ルリ、かおる、柏、小雨、小夏、小らん、小町、渡、政江、芙蓉、夕月、元子、玉貴、もず、業子、美子、吹雪、宝、桐子、久美、渚、ゆか、艶子、舞、陽子、小菊、あかね、孝子、光流、忍、千里、秋乃、しずか、千波、とんぼ、美都世、小みつ、愛子、千影、亜月、ぼたん、いちご、三和、まりも、木の子、豊、琴。
 昭和48年(1973)の新聞紙上では、芸者新聞「いやま」の見出しで、飯山温泉の宣伝活動の一端が報じられたが(『厚木の商人』)、同地の花柳界は、かつて繁栄した厚木花柳界をしのぐ勢いを示していたのである。

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