連載「今昔あつぎの花街

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飯田 孝著(厚木市文化財保護審議委員会委員)

NO14 (2001.07.15)     明治花街「紅筆だより」

 明治44年(1911)1月7日の「横浜貿易新報」は、「紅筆だより」の見出しで、次の記事を掲載している。
 厚木町若松屋抱、かるた(13歳)は踊りにかけては劫々の達者もの、ご面相も十人並で、いまに一種の電気力を有する立派な姐さんとなるべしと、望みを属され居りし雛妓なるが、いよいよ元旦より一本の披露目をしたり。次は〆の家の抱、一平(15歳)は色の黒い所に頗る愛嬌あり、此間の芸妓芝居でヤンヤの好評を博せし豪もの、之もお正月より1本となる
 右の記事は、若松屋(料亭旅館)、〆の家(芸妓置屋)に抱えられていた、半玉である15歳の「雛妓(お酌)」が、一本(一人前)の芸者となる披露目をすることを報じたもので、「紅筆だより」の「紅筆」は口紅をつけるのに用いる筆のことであり、浄瑠璃「井筒業平河内通」には、「短冊に思ひをそむる紅粉筆や」の一節がある。
 明治44年には、このほかにも新聞面をにぎわすいくつかの出来事があった。
 若松屋、勢勝亭の両旅館・料理屋は、2月に東京から二人の新人芸者を抱えた。一人は千代子(22歳)、もう一人は本名ノブといい17歳の女性であった。
 千代子は東京の女俳優九女八の弟子で、踊りにかけては押しも押されもせぬとの口上付の一品であり、ノブはつい先頃まで東京神楽坂で左褸をとっていた「売れっ妓の美形なりとの評ありて、披露目当日より目の廻る程」のいそがしさであると報じられている。

日露戦役凱旋記念数語録に出した旅館「 若松」の広告

  また、3月には下宿(現厚木市幸町、旭町2丁目の一部)で、旅人宿兼料理店を営む糸屋では、29歳のナヲという酌婦があまりにも酒ぐせが悪いため、主人は「迚も辛抱できずとて、此程おさらばにする」という噂が立った。二升酒を呑むほど酒の強いナヲさんは客の人気があったと見え、「ナヲさんならでは夜も日も明けぬと詰懸けたる連中は落膽の事ならんの評判」であるという。

 6月には、とんぼ(18歳)・小妻(17歳)の二人の芸者が、相模屋旅館で客に「密買淫」をしたとして巡査の取調べを受け、拘留処分となった。厚木町(市制施行以前の旧厚木町)では、久しく芸者が「買淫検挙」されたことがなかったので、「同町花柳界は大恐慌を来し居れり」と報じられている。
8月には、2月に東京から来た新人芸者千代子をめぐる猫騒動がおきた。
 大の猫好きの千代子が、「娼売繁昌」の守り本尊の如く大事にしている猫の足に、何者かが焼火箸を突き通す悪戯事件があった。千代子は吾子が怪我をしたように騒ぎ立て、この仇はきっと討つと犯人さがしを始めたが、見つけることが出来なかった。このため、千代子はブランセット(こっくりさん)にお伺いを立てることになった。以下新聞記事を引用すると次の通りである。
 部屋の真中へ座を構え、一心不乱にブランセットを念じてゐると、何でもそれは年の頃35、6の男に相違なしとのお告ありて、ここで千代子姐さん其凄い眼尻をキリキリと釣上げ、気も狂はしき形相怖ろしく、いきなり猫を引寄せて、お前性根があらば焼火箸を突き通した者に乗り移り、思ひ存分祟って怨みを晴して頂戴と泣き口説くに、之れも傍で聞いた朋輩は慄え上り、妾は其んな事は知らないよ、怨んでは嫌だよと大恐慌を起し、目下内々魔除けの御札を肌身につけて、妾へは祟りの来ませぬようにと、一同ビクビクもので夜も落着いて寝られぬ有様とは、あんまり気の毒でもなさそうな話なり
 このほかにも「横浜貿易新報」には芸妓芝居興行の記事(明治43年)や、厚木の洋服店主が高橋屋(旅館・料理屋)の酌婦おサセに入れ上げ、女房子供がある身にもかかわらず、25円でおサセを受け抱いて悶着中である(明治44年)とか、勢勝亭の抱え芸者久子が、大矢某に落籍され、天王裏にある門構えに三階建ての「頗る立派の様な頗る寂しい様の別荘風の家」に囲われたという記事(明治45年)が掲載されている。
 このように明治末期の「横浜貿易新報」が、厚木花柳界事情を積極的に報じているのは、明治42年(1909)9月、横浜貿易新報社主催の相模川鮎漁会が行なわれ、若松屋、古久屋、高島亭が同社指定旅館となったことが大きく影響しているのであろう。

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