飯山悲歌
 西海利雄作詞/西海智津子作曲/津久井淳編曲

飯山悲歌のレコードジャケット
芸者姿は舞小雪
 厚木市の飯山温泉には、いくつかの歌が観光PRを兼ねてレコード化されているが、その中に「飯山悲歌(いいやまエレジー)」という歌がある。
 一菊(かずぎく)という若い芸者の心中・悲恋物語を歌にしたもので、実録の演歌。温泉街で旅館「ふるさとの宿」を営む西海利雄さんが作詞した。
 西海さんによると、一菊は山形県の雪国生まれで色が白く、とても素直ないい娘だったという。その一菊が客と好いた惚れたのいい仲になってしまった。男には妻子があったから、今でいう不倫の恋だ。
 男はいつも予告なしにひょっこりと現れ、知らぬ間に帰るので「お化け」というあだ名で呼ばれていた。二人の間には別れるとか、離れられないとか、他人には分からない複雑な思いがあったようだ。

 事件が起きたのは昭和47年10月18日。秋も深まり木枯らしの吹く季節だった。男はいつものようのようにアパートを訪ねたが、一菊は友達と旅行に出て不在だった。それを「振られた」と早合点した男は、すっかり悲観してガス自殺を図ってしまった。仕事を休んだため、たまたま様子を見に来た男の同僚がガスが充満した部屋にくわえタバコで入ったから大変である。アパートは大爆発を起こして燃えてしまった。
 次の日、焼け跡の始末をしている現場に帰ってきた一菊は、ことの次第を聞かされ茫然自失、タクシーに乗ってどこかへ姿を消してしまった。中津渓谷の旅館で一菊のガス自殺が伝えられたのは翌朝である。
 枕元には時計と指輪、貯金通帳、そして男の好物だったまんじゅうが置かれ、奥さんに宛てたお詫びの手紙が残されていた。その最後には「お化け済みません。なぜ待っていてくれなかったの。わたしもすぐに行きます」と書かれていたという。
 遺体は飯山の光福寺に安置され、芸者衆が総出でお別れに参列した。
 「まったく可哀想な話でねえ。芸者の恋、好いた、惚れたは昔から邪道と思われがちだったが、本当に純情できれいな恋だった。はかない物語ですよ」
 当時を思い出して、しみじみと語る西海さん。
 今時まれに見る純情悲恋物語である。この事件はロマンチストである西海さんの心を強く打った。西海さんはなさぬ恋、芸者の恋の哀しさを、菊の花びらと湯の里「飯山」にたとえ切々と歌いあげた。
 「あなたの愛のともしびが、消えて冷たい明け方に」「芸者の愛がうそならば、飲み干す酒はにがいはず」
 歌詞の一語一語に一菊の切ない「想い」が込められており、今でも事件を知る人たちの涙をさそう。
 作曲は元キングレコードに所属して、毒蝮三太夫と「偲ぶ草」をデュエットするなど、歌手として売り出したこともある娘の智津子さんである。A面の「湯の街の女」と合わせて、元宝塚で月組のスターだった舞小雪のデビュー作として、昭和58年、アルティーレコードより全国発売された。
 10月10日には、全国キャンペーンに先駆けて、厚木市文化会館でチャリティバラエティショーが開かれ、舞小雪が粋な芸者姿でこの歌を披露、拍手喝采を浴びた。西海さんは地元の黄金井酒造とタイアップして「清酒・舞小雪」を作って歌とともに宣伝に乗り出したが、残念ながらヒットには結びつかなかった。
 「飯山の地にいつか一菊地蔵を作って供養してやりたい」
 と語る西海さん。
 「飯山悲歌」は西海さんにとって、心のエレジーでもあるのだ。

                   飯山悲歌◇ 
一、あなたの愛の ともしびが  二、芸者の愛が うそならば    三、菊の花びら むしるよに
  消えて冷たい 明け方に    飲み干す酒は にがいはず   愛は終わりを 告げました
  飯山おろしが 泣けという   明日は旅立ち きめた夜は   星の結びを 信じつつ
  もうだめなのね だめなのね  吹け吹け風よ 花も散れ    雪より白く 眠ります
  あゝわたし湯の里 飯山の女  あゝわたし湯の里 飯山の女  あゝわたし湯の里 飯山の女