厚木の大名 <N027>

荻野山中藩駿河・伊豆国領     飯田  孝

荻野山中藩領だった修善寺
 愛甲郡中荻野村(現厚木市下荻野)に陣屋を構えた、一万三千石の大名大久保氏の領地は、相模国内では三千六百九十二石、中荻野村・下荻野村・三田村・妻田村(以上厚木市)、下溝村(相模原市)、山田村(足柄上郡大井町)の六か村であった。
これに対し、荻野山中藩駿河国・伊豆国両国領合計は約一万石。相模国領のほぼ三倍の大きさをもつ領地は、駿河組・伊豆組に編成して支配された。荻野山中藩駿州組・豆州組の村々を、天保十三年(一八四二)の高付帳ほかによって見ると左記の通りであった(『荻野山中藩』)。

 駿州組
  肥田村(静岡県函南町)
 原木村( 〃 韮山町)
 中島村( 〃 三島市)
 幸原村( 〃 三島市)
 佐野・伊豆佐野村( 〃 三島市)
 川原ヶ谷村( 〃 三島市)
 御宿村( 〃 裾野町)
 吉久保村( 〃 小山町)
 柳嶋村( 〃 小山町)
 木瀬川村( 〃 沼津市)
 西椎路村( 〃 沼津市)
  神谷村( 〃 富士市)
  荒田嶋村( 〃 富士市)
 松長村( 〃 沼津市)

 豆州組
  熊坂村(静岡県修善寺町)
  堀切村( 〃 修善寺町)
  本立野村( 〃 修善寺町)
  小立野村( 〃 修善寺町)
  上修善寺村(〃 修善寺町)
  下修善寺村(〃 修善寺町)
  南条村(〃 韮山町)
  寺家村( 〃 韮山町)
  中条村( 〃 韮山町)
  古奈村(〃伊豆長岡町)
  長瀬村(〃伊豆長岡町)
  墹之上村(〃伊豆長岡町)
  本柿木村(〃天城湯ヶ島町)
  松ヶ瀬村(〃天城湯ヶ島町)
  下船原村(〃天城湯ヶ島町)
  月ヶ瀬村(〃天城湯ヶ島町)
  上白岩村(〃中伊豆町)
  城 村( 〃 中伊豆町)
  梅木村( 〃 中伊豆町)
  菅引村( 〃 中伊豆町)
  冷川村( 〃 中伊豆町)
  大仁村( 〃 大仁町)
  大場村( 〃 三島市)
  北沢村( 〃 三島市)
  多呂村( 〃 三島市)
  畑毛村( 〃 函南町)
  上沢村( 〃 函南町)

  荻野山中藩は駿河国組十四か村約五千石、伊豆国組二十七か村約五千石を支配するため、松長村(沼津市)と古奈村(伊豆長岡町)に役所を置いて年貢取立や訴訟の処理にあたった。
『荻野山中藩』によれば、寛保3年(1743)の修善寺山本家文書に「古奈村御陣屋」と見え、宝暦7年(1757)から文政八年(1825)の文書には「古奈御役所」とあることが紹介されている。
しかし、古奈役所は文政九年か十年に廃止、その役割は松長役所へ統合された。
荻野山中藩駿河国・伊豆国領は、宝永5年(1708)、享保三年(1718)、天保期(1830〜1843)に領地替があった。前にあげた四十一か村の村名は、幕末期の荻野山中藩領である。明治維新後、荻野山中藩伊豆国領は一時韮山県に属し、駿河国領は徳川家達の領となって廃藩置県をむかえるのである。

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