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市民かわら版編集日記

(2002年03月)

虚偽通報の消防職員を停職処分に!本人は来週にも退職。
 3月7日(木) 気分: 天候:
 厚木市は消防出動要請のいたずら電話を行った玉川分署の消防職員(42)を、3月7日付けで停職3ヶ月の処分にした。また、管理監督者である消防次長兼厚木消防署長、玉川分署長および同分署主幹兼第一消防小隊長を文書訓告処分にした。
 停職3ヶ月の処分を受けた職員は、今年の1月20日から2月2日までの間に、15回にわたって消防出動要請のいたずら電話をしていた。本人はアルコール依存症、自立神経失調症と診断されており、引き続き加療が必要であるとされている。
 なお、本人は現在休職中で、3月5日付けで辞職願いが提出されており、市では近日中に退職を承認する予定。退職辞令が出ると公務員の身分でなくなるため、処分の効力は及ばなくなる。

青山学院大学厚木キャンパス・日産自動車と14日に売買契約
 3月11日(月) 気分: 天候:
 来年4月に相模原市淵野辺に移転することが決まっている学校法人青山学院大学厚木キャンパス(厚木市森の里青山)の跡地を、日産自動車(本社東京中央区銀座、取締役社長カルロス・ゴーン)が買収することになり、3月14日売買契約が締結されることになった。
 信頼できる情報筋が明らかにしたもので、買収後は乗用車の企画・デザイン・設計・試作を行う研究所施設として活用する。同市岡津古久にある研究所施設「日産厚木テクニカルセンター」の駐車場が手狭になっていることもあり、研究施設の高度化をはかるため買収することにしたもので、横須賀市にある総合研究所と合わせ、国内開発拠点の中心的役割を果たすものとみられる。
 同大厚木キャンパスの跡地利用については、厚木市と商工会議所など5団体で組織する「青山学院大学厚木キャンパス対策協議会」が、昨年2月、「移転後、間を空けることなく継続して利用されるよう特段のご配慮いただきたい」という要望書を提出している。大学側でも「地元の考え方に配慮したい」という立場で、複数の大学や研究機関を含めて売却先を探してきたが、このほど日産自動車との間で合意に達した。
 森の里青山地区は、都市計画法にもとづく地区計画により、大学・高等学校などの学園施設や先端産業の研究施設を立地するとともに、緑に囲まれた静かな環境の形成保全をはかる「学園研究施設」として指定されており、日産自動車が研究施設として活用すれば、都市計画上からも理にかなったものとなるほか、固定資産税などの税収にも結びつくため、厚木市にとっては大きなメリットとなる。

日産自動車が青山学院と正式に売買契約・厚木テレコムにも入居
 3月14日(木) 気分: 天候:
 学校法人青山学院(羽坂勇司理事長)は、来年4月、相模原市淵野辺に移転することが決まっている厚木キャンパス跡地の売却について、3月14日、日産自動車(本社東京中央区銀座・取締役社長カルロス・ゴーン)との間で正式に売買契約を締結した。厚木キャンパスの総面積は20万4,503平方メートルで、引き渡しは来年3月の予定。
 日産自動車は跡地を自動車関連の研究施設として活用する考えで、従業員はエンジニア、スタッフを合わせて2,000人程度になるものと見られている。ゴーン社長は今年の2月、3カ年で同社を利益ある会社へ復活させることを目的とした「日産リバイバルプラン」を1年前倒しで終了宣言、4月より新たな3カ年の成長計画である「日産180」プランを実施する予定で、研究開発部門を強化するため、2002年度に国内でエンジニアを中心とした1,000名規模の採用を計画している。青学厚木キャンパス跡地の買収はその一環で、同市岡津古久にある日産テクニカルセンター(従業員数5,700人)と合わせ、国内開発拠点の中心的役割を果たすものとみられる。
 厚木市の山口市長は、この売買契約について、「青山学院大学の移転は、文化的な面で残念ではありますが、跡地に世界の日産自動車の新たな研究施設が立地されますことは、時代に即した土地利用につながるもので、研究学園都市として、また経済的な効果も期待され、本市のまちづくりと地域経済にとってもプラスになることから、心から歓迎する」というコメントを発表した。
 また、厚木市岡田の第3セクター会社「厚木テレコムパーク」と明治生命が所有する厚木アクストビルに、日産の関連会社が入居することが明らかになり、14日の市議会各派代表者会議に報告があった。関連会社は3セクが所有する9階と明治生命が所有する10階と14階の3フロア(1,350坪)を借りる見込みで、同市岡津古久にある日産厚木テクニカルセンター(NTC)から約4〜500人の従業員が移転する。これにより3セク部分の入居率は92%になるが、日産との賃料はこれまでより大幅にダウンし1坪1万円を切る9,000円前後になるものとみられ、収入増は見込めるものの赤字の大幅な解消には結びつかない。

前厚木市長足立原茂徳氏死去
 3月16日(土) 気分: 天候:
 前厚木市長の足立原茂徳(あだちはらしげのり)氏が、3月16日、脳梗塞のため厚木市中町の病院で死去した。81歳。通夜は18日午後7時、告別式は19日午前11時より、いずれも同市恩名の白雲閣で。喪主は長女の夫良通(よしみち)氏。
 県立厚木高校教諭を経て県教育庁社会教育部長、青少年センター館長を歴任した後、昭和48年厚木市助役に就任。54年2月市長選に立候補し、5期20年続いた石井忠重氏を破って当選、平成7年まで4期16年市長をつとめた。
 在職中、「教育文化都市」を掲げて全小中学校にプール、体育館のほか、中央図書館、荻野運動公園、全国で初めての小中学生の宿泊体験施設七沢自然教室を建設した。また、揚州市や二ユーブリテン市、横手市と友好都市を締結、国際交流事業にも力を注いだが、高度情報通信基盤を整備する厚木テレコムタウン計画では、バブル崩壊後の甘い経営見通しと第3セクター主導が今日の累積赤字を招く要因ともなった。全国市長会表彰、建設大臣表彰、外務大臣表彰のほか、平成7年勲3等瑞宝章を受章した。