風見鶏

1993.1.1〜1993.12.15

  地球市民の自治体学(93・1・1)

 世界が読めない、そして日本が読めない時代だという。未来はそう簡単に読めるものではないが、その読めない今日的状況を生み出した要因は大きく言って2つあるように思える。
 その1つは冷戦後の世界の新秩序の具体的システムを、だれも作りえていないという点だ。国連が世界の舞台でどういう役割を果していくのか、そしてサミット先進国が世界の新秩序をどう形づくっていくのか、各国が注視している。
 2つ目は地球環境がグローバル化することによって、そこに横たわる問題が地域だけではなく、地球的規模になってきたということだ。酸性雨、森林破壊、エイズ、麻薬、ゴミ、原発、労働力の国際移動、難民、人権問題などどれをとってもしかりである。
 「地域から日本を変える」というのは松下政経塾のスローガンだが、まさに地域は世界だといってもいい。世紀末は人類にこの2つの大きな課題をつきつけている。われわれはこの美しくてかけがえのない地球という星に住んでいる「地球市民」である。この客観的立場をもっと認識する必要があるだろう。
 厚木を、そして日本をどうするかという発想は、自ずから地球市民のサイドに立たなければならない。「地球市民の自治体学」の創造である。

  大きな実験(93・1・15)

 厚木テレコムタウン計画には3つの大きな特徴がある。1つは四全総の多極分散型国土形成の中で「業務核都市」として位置づけられ、首都機能の一部を担う受皿になることである。
 2つ目は地域情報化事業の推進によって、ニューメディアが市民の新しいコミュニティ形成の手段として期待されていることである。
 3つ目は地域開発を行政と民間の共同による第三セクター方式で行なうことによって、日本でも先導的なプロジェクトを成功に導くということである。
 だが、この特徴は同時に大きな課題でもある。第1は「業務核都市」という国家的要請を受けたプロジェクトの中で、いかにして地域の特性を出していくかという点だ。ローカルにしてグローバルという戦略である。
 第2はニューメディアという新しい資源の配分を、低廉でかつ公正・合理的に行なうシステムを作り出すことが出来るかという点である。これが出来なければ情報の地域間格差だけが拡大してしまうという危険性がある。
 第3は事業主体が第3セクター方式をとることによって、市場を独占し競争を排除するという結果をもたらすが、その中で企業の収益性をいかにして上げるか、またいかにして経営責任を問うていくかという課題である。その意味でこの事業は大きな実験である。

  丹沢のクマ (93・2・15)

 丹沢にはいろいろな動植物が生息している。このほど登山道のわきにツキノワグマを捕獲するくくりワナが仕掛けられていたという報道があって驚いた。一帯は鳥獣保護区で狩猟は禁止されている。丹沢ではクマの姿が、除々に見られなくなったという。
 最近、厚木市内でもサルが人里まで降りてくるのが目立つ。つい先日も飯山街道を車で走っていたら、野性のサルが目の前を横切って驚かされた。県立自然保護センターによると、シカやイノシシも里に降りてきているという。そういえば、タヌキやサルが車に轢かれて死ぬという話はあちこちで耳にする。
 過日は西丹沢で堰堤にはまりこんだニホンカモシカの救出劇があった。東京の石神井川では、心ない者に打たれた矢ガモの救出作戦が、連日マスコミを賑わしたばかりだ。動物たちが自由にいきいきと暮らせる自然の場が少なくなっている。人里では人間によるいじめや捕獲の対象となるからもっと大変だ。
地球環境の変化や自然の荒廃は、私たちの身近なところで起きている。動物はそれを敏感に感じとっているのだ。自然を歩いたり山に登るときは、ゴミが出るものは一切持ち込まないようにすべきだという自然保護家の意見があるが、全くその通りだと思う。

  やりくり積極型(93・3・1)

 景気の低迷により給料収入は初めてのマイナス。将来に多少の不安を残しながらも預貯金を取り崩し、庭を広げるための借金もいとわず、わが子の教育や老後の備え、家の増改築などに向けて元気の出る収支計画を立てた。
 厚木市の新年度予算案を家計に例えればこんな表現になろうか。景気の低迷により市税収入が大幅な落ち込みを見せている。法人市民税は36.1%減で、昨年に引続き32億円の減収、固定資産税は10%ほど増えたものの市税収入全体で初めてマイナス成長となった。
 不足分は公共施設整備基金や財政調整基金などを取り崩したほか、特別会計では公園用地の取得に98億円もの市債を発行した。これが家庭における「預貯金の吐き出し」と「借金」である事はいうまでもない。
 しかし、自主財源比率は82.9%、義務的経費は30.3%、投資的経費は33.1%と、財政の弾力度は極めて良好だ。しかも基金はまだ百億円ぐらい残っている。公債費負担比率は0.6ポイント増えたものの6.1%にとどまり、黄信号といわれる15%にはほど遠い。
 厚木市はまだまだ「やりくり積極型」でいけるが、議会ではこうした本質を解きほぐした財政論議を期待したい。

  君が代と日の丸論議(93・3・15)

 大和市に続いて相模原市でも、市立小・中学校の「日の丸掲揚」「君が代斉唱」をめぐる職員会議録の公開が開示された。
 実施の方向で対応する議論は「指導要領に従う」「教育公務員の自覚」「国歌・国旗の意義」などで、反対の議論は「歌詞を子どもたちにどう説明するのか」「思想・信条の自由がある」などだ。話し合いが行われず、該当する会議録が存在しない学校が80校中、58校もあったという。
 つい最近、友人であるブラジルの新聞記者から日本の国家と国旗について質問を受けたが、制定についての説明をどうするかで非常に戸惑った。というのはきちんとした根拠がないからだ。国会などで「君が代」が日本の国歌として正式な決議がされたという記憶はない。ただ明治20年代に、国の祝い事に「君が代」を学校の公式の行事で歌えとする通達が出されている。
 しかし、このぐらいの説明では外国人は納得しない。ましてや国民の間で国歌に対して賛否両論があるなどという説明をすると、実に不思議な顔をする。外国の国家や国旗には日本のような問題はないからである。
 国会決議や国民投票などできちっとした決議をせずに、なしくずし的に決めるところが日本の特徴だが、教育現場が揺れ動くのもこうした理由からであろう。「日の丸」や「君が代」について、教育現場でどのような論議がされているか、教育委員会はむしろ積極的に開示すべきであろう。それは子どもを預ける親からみても当然のことである。 

  桜の国際交流(93・4・15)

 4月に入って朝夕の冷え込みが続いたため、今年は花見をいつもより遅くまで楽しむことが出来た。飯山、三川合流点、鳶尾山、妻田東、玉川小学校など厚木は身近なところに桜の名所がたくさんある。
 宮ケ瀬ダムで水没する清川村の中津渓谷もかっては桜の名所だった。今は工事関係者以外は立入り禁止だが、今年も見事な花を咲かせた。昨年このうちの2本を水の郷地区に移植したところ、根づいたため残りも移し変える計画だという。来年は水の郷が桜の名所として脚光を浴びそうだ。
 横浜市にある市民団体「横浜スペイン交流協会」では、この4月にスペインを訪問して、アンダルシア地方のロンダ市に桜の苗木400本を贈ったほか、セビリア市にも3年後をメドに500から1,000本を寄贈するという。厚木市の友好都市中国・揚洲市や米国・ニューブリデン市には桜はあるのだろうか。
 先日外国の人と話をしていたら日本の国旗は日の丸より桜の花がいいと言っていた。なるほどとも思う。外国人にいわせると、パッと咲いて、パッと散るところがいかにも日本的でいいのだそうだ。 遅まきながら、厚木市も「非核平和都市」を宣言した。平和の使節として国際交流に桜を使うことを考えてみてはどうだろうか。

  カタクリ(93 ・5・1)

 厚木市の荻野運動公園に「野草園」が完成した。3ヘクタールの起伏のある土地に、250種8万株の野草が植えられている。カタクリ、ユリ、エビネなどを多く取り入れており、野草愛好家の目を楽しませてくれそうだ。
 カタクリといえば、昭和55年の4月、愛川町の文化財保護委員の案内で、同町内にあるカタクリの群生地を見にいったことを思い出す。場所は小沢の梅沢の沢一帯で、幅40メートル、長さ300メートルに及ぶ広大なものだった。現場に踏み込むと甘い香りがして、まるで白い絨毯を敷き詰めたような錯覚におそわれた。
 翌年、再び見にいったが、このカタクリは心ない者に荒らされ、無残な姿をさらしていた。その後、沢の護岸工事が行われたため影も形もなくなってしまった。
 場所を特定する記事を書いたので、本紙に責任があると読者からお叱りを受けたが、心痛む結果にはなったとはいえ、新聞人としてはやはりあれは書かざるを得なかったのだと思っている。むしろ、あのカタクリを何とかして保存できなかったのかという無力さを感ずるのみである。
 荻野運動公園の野草園には、相模の地であまり見られなくなった野草も数多い。こうした自然を残し再生する工夫がいたるところで欲しい。

  商店街の21世紀プラン(93・6・1)

 厚木玉川商栄会が商店街活性化プラン策定事業として、地域の将来を展望した「風光緑水そしてふれあいプラン」をまとめた。
 自然や文化、歴史などの資源を活用し、車椅子でも通れる歩道とトイレの整備、統一性を持たせた観光と商店案内板の設置、自然エネルギーを利用したモニュメントの製作、名産売店の設置、川と森・歴史のハイキングコースの新設、お店の外装や看板は街の共有物として整備する。
 集合店舗やワークショップの開設、付加価値のある商品づくり、桜の名所の新設、四季の草花栽培、休耕田や河川を利用したイベント、クワハウスの設置など面白いアイディアがたくさん盛り込まれている。
 これまで商店街の活性化事業というと、機能的な関連性を重視して独自性のない無秩序なやり方が主流だった。しかし、近年は大型店対策としてシヨッピングモール事業に取り組むなど、全体的に関連性をもたせ、一つの建物として整備していく方法がとられてきている。
 玉川商栄会では、ショッピングモールよりも街づくりを総合的に考える手法を重視した。この点にふれあいプランの優れた視点がある。しかも随所に玉川らしさが満ちあふれている。これはそのまま玉川地区の21世紀プランだ。

  政党の自己革新 (93・7・1)

 総選挙をにらんで、非自民の5党首会談が行われた。「非自民・非共産の勢力を結集したい」という羽田氏の呼びかけに、他の四党首が「自民党の1党支配を崩そう」と賛意を表明したという。
 非自民というならば、まず新生党自らが、自民党的体質ではないということを証明せねばなるまい。新生党は竹下派会長だった金丸前副総裁が辞任したあと、跡目相続に破れた結果誕生した。かつては田中角栄の親衛隊をつとめ、自民党の最大派閥をバックに権力配分のうまみを存分に味わってきた人たちである。
 いわば、最も自民党的である人たちが、自民党を飛び出して名前を変えただけで心身共に生まれ変われるというのだろうか。「自民党を飛び出したからみそぎは終わった」(山岸連合会長)などという寝惚けた発言にはとても同調出来ないのである。
 こう見てくると「どのような政策を掲げるのか、過去をどのように反省して再出発するのか政治手法や体質を含めて見極めながら対応したい」という新党さきがけの竹村氏の発言は、極めて常識的である。
 社公民連の4党はあまりにも無節操でありはしまいか。しかも、悲しいことに自己革新をしていないという点では、自民党や新生党と変わらないのである。

  意匠より中身の改革を(93・7・15)

 今回の総選挙を、マスコミは「政界再編」をキーワードにした不確実性な状況を連日大きな紙面をさいて伝えている。
 自民党単独政権が変わることが第一だという議論もあるが、政治腐敗のまっただ中にいた人たちが分裂野合しても、事態は野望のなれの果てにしかなるまい。だいいち金丸直系の小沢グループがなにゆえ「政治改革派」のチャンピオンなのか、さっぱり合点がいかない。
 社会党は羽田指名を示唆し、基本政策は自民党政権を継承するという。小沢一郎氏をはじめとした新生党の面々が、田中・竹下派支配のもとで行ってきたことを、どうして小事と片づけることが出来るのか、党を割っただけでみそぎは終わったといえるのか。
 どの政党も政治改革を大合唱し、政権獲得に向けて躍起になっている。しかし、各党の連立・連合政権構想は、地方自治体における翼賛型の総与党化現象が、化粧直しをして国政にも登場してきただけという感じがする。
 55年体制のもとで生じた政治腐敗は、羽田氏がいう制度疲労などというものでは決してない。それは「政官財労」癒着構造の結果であった。その解体作業こそが必要なのである。選挙制度の改革も大事だが、政党や人間自身の改革が先決だろう。

   尊敬される政治家(93・8・1)

 「等しく町民に郷土の誇りとして深く尊敬される者であること」。これは、茨城県鉾田町の名誉町民条例の一文である。
 鉾田町は茨城県の公共事業にからむ贈収賄事件で逮捕された竹内藤男知事の出身地である。その町が「郷土の偉人」として竹内知事を名誉町民第一号に予定していたが、このほどその計画を白紙に戻したという。
 竹内知事は旧制水戸高校、旧東京帝大法学部、建設省、参院議員、知事と登りつめた立志伝中の人である。その立志伝中の人がゼネコン汚職にまみれてしまった。政治家とゼネコン業者の癒着による利権配分構造は、全国の自治体にも蔓延しているといわれている。この構造が定着してから、昔のように「井戸塀」なる政治家はみられなくなった。
 政治家に名誉市・町民の称号を贈るのは議論の別れるところであろう。こうしたゼネコン汚職が起きるとなおさらである。だが、地方や中央の現職や元政治家に名誉市・町民の称号が贈られるケースは多い。
 厚木市でも市長を5期20年つとめた石井忠重さん、元衆議院議員の故甘利正さんらがいる。 いずれも立派な業績を残した人である。しかし、「等しく市民に郷土の誇りとして深く尊敬される」政治家というのはなかなかいない。

  人事異変(93・8・15)

 8月10日、正副議長などを選出する厚木市の議会人事が行われた。今年も最大会派の市民クラブと第2会派の自民クラブの綱引きで始まったが、これまでと違うのは年功や当選回数で決めるという慣例が打ち破られたことである。
 今回は無所属ネットの3人の女性議員が、世代交代を求めてキャスチングボードを握った。自民クラブが推す太田氏は副議長から議長になると3年も続くし、市民クラブが再登番させようとしていた徳間、脇嶋の両議長経験者は候補の対象にもならないと軽く一蹴された。このため市民クラブは若手の篠崎一成氏を候補に立てたのである。
 これまで議長は最大会派から選ぶという考えのほか、年功や当選回数順で決めるというのが慣例になっていた。これに1年交代のたらい回しが加わって人事を混乱させてきたのである。一方、長老の中には当選回数の若い人にはやらせたくないという守旧派がいて、世代交代をはばんできた。今求められているのは議会の活力である。
 当選2回で議長に就任した篠崎氏は、「各会派の意見が公正に反映されるよう活力ある議会運営をしたい」と抱負を語った。日頃から歯に衣着せぬ発言が目立つ篠崎議長が、どのような議会運営をするか注目したい。

  パチンコ締め出し条例(93・9・15)

 津久井町は開会中の9月議会に、パチンコ店とゲームセンターの建設を規制する条例を提出した。 条例案によると、100m以内に住宅が5戸以上ある地域には建設を認めないもので、公共施設や通学路周辺も規制の対象となる。出店する場合は町長への届け出と同意が必要だ。
 現在、同町にはパチンコ店が1軒もないため、この条例案は事実上の締め出しに近い。可決されれば県内では初めてのケースとなる。予想される事態に先手を打つということではまさに画期的な条例だろう。
 平成元年には、愛川町と清川村が「ラブホテルを規制する条例」を制定した。宮ケ瀬ダム建設によるダム湖周辺の観光開発によって自然環境が悪化するのを防ぐためで、これも将来の建設を予測して先手を打った好例である。
 昭和45年、大宮市は日本で最初のモーテル規制条例をつくり、法律に規制のないモーテルの建設を市独自でくいとめた。以後、全国の自治体でさまざまな条例が相次いだ。まちづくりは事態が起きてから規制するのではなく、将来予測される事態に先手を打つのが本来の姿である。
 地方分権の拡大や自治体の個性、独自性を伸ばすということは、こうしたまちづくりを積極的に推進することである。

  汚れたバッハホール (93・10・1)

 東北の片田舎に全国でも最高レベルの音響設備を備えた文化会館がある。通称バッハホールと呼ばれ、一時はマスコミから「田んぼの中の音楽堂」と冷やかされたが、ずばぬけた音響効果は内外の演奏家たちの注目を集めた。これまでにゲヴァントハウス・バッハオーケストラ、ベルリンフィル八重奏団、ドイツバッハ管弦楽団、スメタナ弦楽四重奏団などがこのホールで演奏し、世界のバッハホールと呼ばれるまでになった。
 このバッハホールは都市側のふるさと志向を、農山村側がいかにして地域の活性化に活用するかという村起こしの成功例としてもてはやされた。
 注目されるのは、この会館を維持するためのバッハ・ホール・ソサエティー制度を設けたところ、会員1,800人のうち仙台市など都市部の会員が1,500人も集まったことである。
 バッハホールは都市部の支援を受けながら運営され、町に対する住民の誇りが生まれて定住化の推進につながったのである。多目的ホールや月並みな音楽ホールだったら、これだけの支援は受けられなかったろう。
 この町は宮城県中新田町。当時の町長はゼネコン汚職で逮捕された宮城県知事の本間俊太郎氏である。地域起こしの旗手といわれた人も黒い金にまみれた。

  国際交流と産業化(93・10・15)

 世は内も外も国際化時代で、どこの自治体でも国際化には相当の力を入れている。交流の内容はスポーツ、文化が中心になるが、もっと産業面での交流が図れる方法がないものだろうか。
 北海道池田町では、山に自生する山ぶどうが、ソ連でブドウ酒の原料に使われているものと同じだったことから、ワイン用のブドウ栽培やワインづくりの技術を本場のヨーロッパから学ぶため、町の職員を西ドイツに派遣させ、池田町の気候と風土に適したワインづくりに成功した。
 大分県大山町ではハワイを訪れ、ウメ、クリを植えてハワイへ行こうというNPC運動が生まれた。同町では農業生産から育児や教育までを共同で行なっている。イスラエルのキブツに職員を派遣して農業の協業化を学ばせ、集中管理と分工場方式によるエノキダケの栽培にも成功した。
 大山町ではその後、イスラエルのメドキ町と姉妹都市を締結すると、町民の間に「世界を知ろう会」が発足、海外から学ぼうという姿勢が広がっていったという。湯布院町でも西ドイツの保養地を視察して、閑静な保養地づくりに取り組んでいる。
 厚木市もハイテク化と自然をテーマに、地域の活性化を目的とした国際交流を考えたいものだ。

  ボケ始めたら手遅れ (93・11・1)

 厚生省によると、現在65歳以上の老人性痴呆の患者数は約100万人。2000年には約150万人に上るといわれている。平均年齢が高くなった今日、老人性痴呆症はすっかり身近な病になった。
 この病気には脳卒中による脳血管性と脳の萎縮によるアルツハイマー症の2種類がある。かっては塩分中心の日本人の食事から、脳血管性が多いとされてきたが、現在ではアルツハイマー症が七割と逆転している。
 このアルツハイマー症は治療薬がないという厄介な痴呆だ。周囲には世話を焼かせるし、医者にとっても不人気な病気である。加えて末期医療の問題がある。意識のないボケ老人にも尊厳死はあるのであろうか。冷静な頭で死期や尊厳死を考える癌やエイズとは基本的に異なる。
 厚木市鳶尾に住む鍼灸師・熊倉悟さんが、このほど東洋医学的立場からボケ防止を研究した『ボケよさらば』という単行本を出版した。肉食をやめ、偉大なる天の慈光を体に取り入れ、記憶訓練法を30代から実践すれば、ボケになることはないという。
 ボケて痴呆になることは誰もが望まない。熊倉さんに言わせると、ボケ始めたらすでに手遅れなのだそうだ。老いと痴呆を道連れにしないよう、若いうちから頑張るしかあるまい。

  財政運営(93・12・1)

 92年度の都市財政の悪化傾向が顕著になっている。全国662市で法人市民税は軒並み落ち込んだ。厚木市も前年度比32.1%減で、不況の深刻さを物語っている。
 これまで財政調整基金などを取り崩して対応してきたが、不況が長期化すれば、基金に頼るにも限度が出てこよう。
 同市は都市の財政基盤の強さを示す財政力指数ランキングでは、662市中第3位にランクされている。従って急に財政破綻が来るとは思えないが、今後は行政改革、事業のリストラ、補助金カットなどで税収の落ち込みに対応せざるを得なくなる。
 問題は都市の財政運営が、政策主導型予算から財源主導型予算に切り替わることである。そうなるとシビルミニマムやコミュニティなど、目標設定的システムによる行財政運営がストップする。その結果、政策選別をやらずに無駄が放置されたままになって、前年度実績主義がまかり通ってしまう。 厚木市でも、[教育の森]構想の見直しが図られているし、テレコムタウン構想も不況により計画どうり進むか不安である。しかし、ただリストラすればよいというものでもない。住民ニーズと乖離しないようどこを見直せばいいのか、来年度は財政運営に頭を使う年になろう。

  内部開発型の街づくり (93・12・15)

 地域起こしを外部に求めるメリットは、 ^税収を増やし _雇用を創出して住民所得を引上げ `地域の産業構造を多様化することにある。
 従って、これまで企業誘致は地域振興の代表的な手法であった。ところが不況が長期化し税収がダウンした途端、自治体の台所事情が苦しくなった。
 地域振興を外部に求めた場合のデメリットは、^企業の言いなりになる。_道路や公害など生活環境が破壊される。 `企業の経営方針や不況によって、税収に大きな変化が出るなどである。
 ところが北海道池田町のように、地域を活性化するのに必要な力を外部から求めないという考えがある。つまり、内部の素材だけで地域の活性化を図るもので、テクノポリスとして注目を集めている大分県日出町などは、外発的開発を内発的開発の素材に転化したという好例もある。
 厚木市は昭和30年代からの工場誘致に始まって以来、外部の力によるまちづくりが支配的だ。最近ではこれに政府お墨付のプロジェクトが加わった。
 不況期のいま自治体が取り組むべき課題は、21世紀を展望し自立した地域経済を確立するために、地域の産業構造を内部開発型に転換することで、そのための大胆な産業政策が求められているのである。

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