風見鶏

 西山と住民福祉(2005.01.15)

 昨年12月、西山を守る会が提出した住民監査請求の陳述が1月12日市役所で開かれ、花上義晴代表ら3人が、監査委員を前に意見陳述を行った▼西山問題の焦点は、市はなぜ市道の廃止付け替えを行ったのかという点にある。市が市道を廃止した理由は、交通の用に供する必要がなくなったと判断したからである。問題なのは利用者がいなくなったと客観的に誰が判断し認定したのかということだ。市の職員がある日現地調査を行ったところ、誰も人と出会うことがなかったため、利用者がいないと短絡的な判断しただけの話である。たとえば1ヶ月間、この市道を通行する登山者やハイカーがどのくらいいるのかということを調べた実態調査にもとづいたものではまったくないのである。調査自体がお粗末で事実誤認も甚だしいのだが、いずれにしても市は市道を廃止して付け替えたのである▼しかし、ここでまた問題となるのはなぜ付け替えたのかという点である。利用者がいなくなったのであれば廃道にするだけで済むのに、わざわざ付け替えたのである。付け替えたということは、まさに利用者があるという前提に立っているわけで、これは「先の交通の用に供する必要がなくなった」という判断とは明らかに矛盾した行為である▼市は平成10年3月「厚木市都市マスタープラン」を策定し、荻野地区の景観形成の方針を、「高取山などの山地や丘陵の保全、まちのふちどり(背景)の保持とともに、現在の尾根筋や山頂の優れた見晴らしの場の確保(継承)」をうたっている。にもかかわらず翌年の7月に業者と「華厳採石拡大計画に係わる覚書」を交わし、平成15年9月議会に市道の廃止を提案するという全く逆のことを行ってしまった▼「都市マスタープラン」というのは、まちづくりについての基本的な理念と計画を掲げたもので、これに沿って都市作りが行われなければならないのはいうまでもない。厚木市は都市マスタープランを無視して単なるお題目だけにしてしまったのである。都市マスタープランにうたったこの文言は一体何なのかということである。▼地方行政というのは自治法にもとづき住民福祉の向上をはかるのが目的だ。業者が岩石採取のため、市道が邪魔だから廃止・付け替えにして欲しいと言ってきたら、「岩石採取には公益性はないし、市道を廃止すると住民が不利益を蒙るのでそれは困る」という判断をして業者を行政指導すべきなのである。ところが厚木市は、住民に十分な説明をしないで業者の頼みをそのまま聞いてしまった。市道を廃止・付け替えたことによって、業者は市道部分の直下まで採石が可能になり、莫大な利益を得ることになったのである。果たしてこれを住民福祉の行政、山口市長の言う「市民が主役の市政」ということができるだろうか▼ところで、昨年付け替えられた市道は、風雨などにより通行不能な箇所が至る所にあるという。現状では、付け替えられた市道は交通の用に供していないのと同じである。市が長年、管理を怠り廃止された市道(現在は市道ではなく、業者の所有地となっている)は、今も健在で登山者やハイカーに利用されている。今後、付け替え道路がさらにきちんと整備されたとしても、この道路を好んで利用する人は少ないだろう。なぜなら山の空気や草木、景観、癒し、歴史文化など市民が共有できる財産的価値を失った道路には誰も魅力を感じないからである▼地方分権とは地域の自己決定権と自己責任を拡充していくことにあるが、厚木市のやり方を見ていると、市道の管理保全は市固有の事務であるにもかかわらず、環境アセスなどの上位法を理由に「反対しても無駄である」ような世論操作をしたり、情報公開と説明責任を十分にしないで、業者に便宜をはかったとしかいいようのない対応は、まさに住民福祉や分権時代に逆行する行為でしかない。監査委員の冷静な判断に注目したい。

 西山の市道は本当に利用者がなくなったのか(2003.12.15)

 西山の市道の廃止付け替えに関する荻野地区住民説明会で、市側は「採石のため道路を残すのは困難で、機能回復を図るため付け替えを行う」と説明した▼この説明に市民は納得するであろうか。反対している住民は、市は開発行為によって行政財産が不利益をこうむらないよう業者を指導すべき立場にあるのに、「企業に便宜を図るとはトンデモナイ」と怒っている▼道路法第10条によると「市道は一般交通の用に供する必要がなくなったと認める場合、全部又は一部を廃止することができる」とあるが、厚木市の場合、利用者がなくなったと誰が判断したのであろうか▼平日、見に行ったら歩く人がいなかった、西山の市道はハイキングコースではないなどというのは行政のまったくのご都合主義による判断で、むしろ30年以上も整備せずに放置しておいた市の職務怠慢こそ指摘されなければならない▼地元住民が言うように、西山の市道は、単に人が山道を通るだけという性格を有しているものではない。空気や草木、景観、癒しなど市民が共有できる財産的価値は市内でも例がなく、生態、環境、文化的価値が極めて高い▼市は「代替ルートで機能回復がはかれれば道路管理上問題がない」というが、こうした発言でこの市道の持つ価値を矮小化しているようにさえ思える。付け替えによって明らかに道路の価値は消滅する。市民は貴重な財産を失うのである。

 市道の廃止・付け替えと公益性(2003.12.01)

 厚木市は9月議会に、西山の尾根道になっている市道を廃止して付け替え認定する議案を提出した。都市経済常任委員会で審議されたが、地元への十分な説明がなく、廃止の理由も明確でないとして継続審査になった。11月21日、今度はこの議案に地元住民が異議を唱えた▼市道を廃止して付け替えするには、原因となる行為に公益性がなければならない。高速道路やダム、住宅団地の建設、耕地整理、あるいは利用者が著しく利便性を欠く場合などである。西山の場合は岩石採取が目的だから、公益性というよりは業者の都合である▼廃止するには生活道路であれば周辺住民の理解が必要だが、荻野地区自治会への説明は極めて不十分であるという。この道は登山道やハイキング道でもある。いわば環境悪化の歯止めともなる道路で、廃止するにしても自治会長の同意だけで十分であろうか▼西山の華厳山頂には、下荻野の俳人小林芹江の「此山やこの鶯に人も居ず」の句を刻んだ発句石がある。尾根道からの眺めは素晴らしく、晴れた日には新宿の副都心や相模湾が一望できる。荻野中学の子どもたちや地元住民は、この西山を校歌や音頭に歌い、故郷を思う精神形成のよりどころにしてきた▼その西山の稜線が岩石採取によって頂上から2百メートルも削り取られる。地元の人たちは「西山の市道は自然破壊を防ぐ最後の砦である」として市道の廃止を否決する陳情を提出した。議会の良識ある判断を期待したい。